11月9日 <後楽園球場の解体が始まりました(1987年=昭和62)>

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1987年(昭和62)のこの日、東京水道橋にあった読売巨人軍や日本ハムファイターズのホーム球場であった通称後楽園球場(正式名称は「後楽園スタヂアム:こうらくえんスタヂアム」)が、その前日の閉場を受けて解体が始まりました。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

まず、1枚の写真をご覧下さい。1974年(昭和49)頃の水道橋付近の上空写真です。この写真はWikipediaから無断借用しています。

写真あるいはその下の説明の青文字からWikipediaの大きな写真が見られます。

右側に見えるのが後楽園球場、その左側に見えるオーバル型の施設は後楽園競輪場です。実は、この後楽園競輪場は1972年(昭和47)にはすでに営業を停止していました。というのも、1967年(昭和42)に東京都知事に当選した美濃部亮吉が打ち出した、「東京都営ギャンブルの全面廃止」という方針に沿って1972年10月26日に開催されたレースを最後に競輪の開催が廃止されていたからです。

この後楽園競輪場が閉場されたあと、「後楽園ジャンボプール」といった施設も一時はありましたが、1985年(昭和60)から大きな開発が行われました。「BIG EGG(ビッグエッグ)」の愛称をもつ東京ドームの建設です。

 

1974年(昭和49)頃の水道橋上空からの写真
(Wikipedia「後楽園球場」から無断借用)

 

余談ですが、後楽園競輪場の左側に広がるのが小石川後楽園です。これは江戸時代初期につくられた水戸徳川家の江戸上屋敷内にある築山泉水回遊式の非常に風光の明媚な日本庭園です。入場料も大人1人300円とお手頃で、四季折々の自然が感じられる小生も大好きな庭園なんですよ。

 

さて、後楽園球場ですが、スタートは1937年(昭和12)でした。第2次世界大戦中は軍に接収されてグラウンドではジャガイモやトウモロコシが栽培されたり、二階席には高射砲が設置されたり、という時代もありましたが、東京における野球興行の拠点として使われていました。

戦後は、読売巨人軍、国鉄スワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)、東急フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)、毎日オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)、大映ユニオンズ(千葉ロッテマリーンズの前身球団のひとつ)の5球団が本拠地として構える、日本の野球の中心地の一つとなりました。その後、各球団が自前の球場に移転したこともあり、後楽園球場は読売巨人軍と日本ハムファイターズの本拠地として営業していました。

 

改修しながら使用を続けていた後楽園球場ですが、さすがに施設の老朽化がすすみ、また後楽園競輪場跡に東京ドームが建設されたので、球場としての役割を東京ドームに引き継ぐことになりました。

そして迎えた、1987年(昭和62)11月8日に閉鎖して、そしてその翌日の同年11月9日から解体が始まりました。

解体そのものは1988年(昭和63)2月までに完了し、その跡地は駐車場として用いられた後、プリズムホールや東京ドームホテルが建設されて現在に至っています。

下にある写真は1989年(昭和64)頃の東京ドームの上空写真です。やはりWikipediaからの無断借用です。上の写真と比べると変化が良くわかると思います。

やはり写真あるいはその下の説明の青文字からWikipediaの大きな写真が見られます。

1989年(昭和64)頃の水道橋上空からの写真

 

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

今日はここまでです。

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