1月26日 <法隆寺金堂で火災発生(1949年=昭和24)>

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今日という日はどんな日でしょうか?

日本史の中の出来事を覗いてみましょう。

 

1949年(昭和24)の今日の朝7時頃、世界最古の木造建築とされる法隆寺金堂で火災が発生し、国宝の壁画を焼損しました。

 

出火の二日前に、法隆寺の境内に住む女性のところへ毒入りの菓子が届くという怪事件があり、放火ではないかとする説もありましたが、現在では、出火の原因は、そこで使われていた電気座布団の漏電とされています。

 

この頃、法隆寺では劣化が進んでいた壁画を修復する為の模写作業を行なっていたのでした。

 

この火災をきっかけにして、1950年 5月文化財保護法が制定されました。また、1955(昭和30)年からは、この日は文化財防火デーとなりました。

 

火災が発生し、激しく燃えている時、当時の法隆寺貫主(かんしゅ)の佐伯定胤(さえきじょういん)氏は

「お止め下さるな。私はあの火の中へいかねばばらん。手を放して下さい。」

と言って燃え盛る金堂の中へ飛び込もうとなさったのを、寺僧達が押しとどめたそうです。押しとどめた…というよりも羽交い締め(はがいじめ)にして止めたそうです。

 

鎮火したあと、水浸しになった金堂に行くと阿弥陀浄土(あみだじょうど)の大壁は見るも無残な有様で、そこに佐伯貫主は長時間立ち尽くしておられたそうです。そこには放水によって出来た穴が三箇所も…そして、この日の夜、50年間務めた法隆寺貫主を辞退したのです。

 

1200年もの間、多くの人々の力添えで守られてきた文化財が、事故とはいえ、一瞬にして焼損してしまったのはさぞかし辛かったことでしょう。

 

この事件は日本国民に衝撃を与えたのみならず、海外でも注目されたようです。太平洋戦争中に、米国空軍に対し、日本の文化財を守るように活動したハーバード大のウォーナー博士は

「なんという驚きだ。戦火から日本の文化財を守ったのは私一人の力ではない。私と同じ考えの者が皆協力してくれたから、日本の文化財を守れたのだ。日本は文化財を大事にしようという意識が薄いのではないか。」

 

と嘆息したそうです。 また、東京消防庁のウェブサイトに、ロンドン・タイムズの当時の東京支局長のコメントがでているので紹介します。

「法隆寺は外国人にとっても非常に興味を持たれ、こんどの戦争中もフランスではパリ大学のオーボァイエという若い婦人が“金堂の研究”を発表、アメリカでも最近ワシントン博物館のアッカー氏が、日本での金堂研究を翻訳して出版したところ、大変売れ行きが良かったというほどで、こうした人たちが法隆寺が焼けてしまったと聞いたらどんなに悲しむことか。・・・日本人はこうした“貴重なもの”の取扱いが全く下手でデタラメだ」(1月27日の朝日新聞より)

(東京消防庁のウェブサイト「消防雑学事典:52.文化財防火デーの契機となった法隆寺金堂火災」より引用)

 

この火事で壁画が焼損してしまった法隆寺金堂は1954年(昭和29)に解体修理を終えて復旧しましたが、壁画のあった壁は空白のままでした。

 

1967年(昭和42)、法隆寺からの発願で再現壁画を制作して壁にはめ込むことになり、再現壁画は翌1968年(昭和43)2月に完成、パネルにはめ込んだ上で金堂の壁に設置されました。そして同年11月に開眼法要が営まれ、法隆寺金堂内部はようやく火災前の姿に戻ったのでした。

 

法隆寺では、毎年1月26日(金堂火災の起きた日)、金堂と収蔵庫にて「金堂壁画焼損自粛法要」が営まれ、その後防火訓練が行われています。

 

火事は怖いですね。まだまだ寒い日が続きます。火の元にはくれぐれも気をつけましょう。

 

今日はここまでです。

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