1872年(明治5)のこの日、「田畑永代売買禁止令」が廃止されました。
これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
今日の出来事の話をする前に、この田畑永代売買禁止令のことについて触れておかねばなりません。
江戸幕府は百姓の経営をできるだけ安定させ、一方で貨幣経済に巻き込まれないようにし、年貢・諸役の徴収を確実にするための対策をとりました。
1643年(寛永20)に出された田畑永代売買の禁令(でんばたえいたいばいばいのきんれい)は、百姓の土地が売られて地主と小作との関係になるのを防ぐ目的があり、1673年(延宝元)には、分家をして自立するのに歯止めをかける分地制限令(ぶんちせいげんれい)を出して、 分割相続による田畑の細分化を防ぎました。さらに、田畑勝手作りの禁(でんばたかってづくりのきん)によって、本田畑に五穀(米・麦・黍・粟・豆)以外の作物(タバコ・綿花・菜種など)を自由に栽培することを禁じたのでした。
時代はずぅっと下って明治維新です。
日本が、さまざまな分野で近代化をめざした改革を進めるには、多額の経費を必要としていました。そのため政府にとって、国家財政の基礎を固め、安定させることが最重要課題の一つとなったのです。明治政府は成立当初、国家財政の恒常的財源に乏しく、莫大な戦費などを調達するために、太政官札などの不換紙幣の発行や豪商からの借入金に頼らざるを得ませんでした。
廃藩置県後、租税徴収権は政府の手に集中されましたが、政府の恒常的財源の大半を占めた農民からの年貢は、旧幕藩時代からの慣行で、地域ごとで税率も一定しませんでした。そのうえ、米で納めるのが普通であった為、米価の変動により歳入は不安定で、長期的な財政計画を立てることは難しい状態でした。こうした状況のなかで政府は国家財政の基盤を固めるために、統一的な近代的土地制度や租税制度を確立しなくてはなりませんでした。
まず、政府は株仲間の解体による売買の自由許可、一般農民に対する米販売の許可、関所の廃止、田畑勝手作りの許可、職業の自由公認など、経済・商業の自由な発展を妨げる諸制限を大幅に撤廃した。
また土地制度を改革するために、1872年(明治5)の今日、田畑永代売買の禁止を解き、地価を定めて、土地所有者に対し土地の所在・地種・面積・価格・持主などを記載した地券(ちけん)を交付して、土地の私有制度を確立しました。
こうして、政府は地券制度をもとにして、1873年(明治6)7月、地租改正条例を発して地租改正に着手したのでした。
2.他の年、この日の記事
他の年のこの日には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
- 2018年記事:<法律の官撰注釈書「令義解」完成(833年=天長10)>
今日はここまでです。
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