1月17日 <民撰議院設立建白書を提出(1874年=明治7)>

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144年前のこの日、征韓論に敗れて下野した板垣退助(いたがきたいすけ)らは、政府に対し民撰議院設立建白書を提出し、薩長中心の藩閥政治を批判し、国民の選挙による国会の開設をせまりました。

これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

征韓論に敗れて下野した板垣退助・副島種臣(そえじまたねおみ)・後藤象二郎(ごとうしょうじろう)・江藤新平らは、政府関係者の間に立憲政治論が広まるなかで、1874年(明治7)1月12日に日本初の政党「愛国公党」を設立したのに続き、同月のこの日、民撰議院設立建白書を左院に提出しました。

冒頭の「征韓論」については別記事

10月23日 <岩倉具視、征韓論に反対(1873年=明治6)>

に書いてありますので、併せてご覧下さい。

 

この民撰議院設立建白書は、以下の様に主張しました

「政府の政治のやり方を一握りの有司(上級役人)による専制政治であるとして非難するとともに、納税者には当然国政に参与する権利があるとし、民撰議院(国会)を設立して国民を政治に参与させ、官民一体化をはかることによって、はじめて国家・政府が強力になることが出来る」

 

 

国会図書館のデジタルアーカイブに、この民撰議院設立建白書があります。

民撰議院設立建白書

内容は以下の通りです。

某等別紙奉建言候次第、平生ノ持論ニシテ、某等在官中屡及建言候者モ有之候処、欧米同盟各国へ大使御派出ノ上、実地ノ景況ヲモ御目撃ニ相成、其上事宜斟酌施設可相成トノ御評議モ有之。然ルニ最早大使御帰朝以来既ニ数月ヲ閲シ候得共、何等ノ御施設モ拝承不仕、昨今民心洶々上下相疑、動スレバ土崩瓦解ノ兆無之トモ難申勢ニ立至候義、畢竟天下輿論公議ノ壅塞スル故卜実以残念ノ至ニ奉存候。此段宜敷御評議ヲ可被遂候也。

明治七年第一月十七日

高智県貫属士族 古沢迂郎
高智県貫属士族 岡本健三郎
名東県貫属士族 小室信夫
敦賀県貫属士族 由利公正
佐賀県貫属士族 江藤新平
高智県貫属士族 板垣退助
東京府貫属士族 後藤象次郎
佐賀県貫属士族 副島種臣

左院 御中

(Wikipedia「民撰議院設立建白書」から引用)

 

この建白への賛否をめぐって、国内には活発な民撰議院論争が起こり、世の知識人たちは国会開設問題についての関心を深めました。こうして、民間から自由民権運動が起こっていったのでした。

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

今日はここまでです。

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