1月17日 <兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生(1995年=平成7)>

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今日という日はどんな日でしょうか?

日本史の中の出来事を覗いてみましょう。

 

1995年の今日の早朝、午前5時46分に、兵庫県神戸市垂水区沖の明石海峡を震源として、M7.3の兵庫県南部地震が発生しました。

 

忘れもしない、「阪神・淡路大震災」です。死者6,000人以上、住宅の全半壊25万棟という激甚災害でした。建造物だけでなく、道路、港等に多大な被害がでた事は、記憶に残っています。

 

実は、小生はこの地震の数日後、大阪に出張でした。その御客様は大阪府摂津市にあったので、建物は大丈夫でしたが、製品は倉庫内で大半が倒れてダメになりました。その企業がやったことで、小生がとても感銘を受けたのが、周辺の住民の為に炊き出しを行った、という事です。売上だ利益だ…と目を血走らせるのも結構ですが、社会の中にある企業体として地域に貢献する企業というのは立派だと感じたのです。その御客様の生産設備は程なく復旧し、「震災特需」と呼ばれる非常に高い水準の生産活動の時期がかなり長期間続いたのです。社会に貢献し、そこから利益を得た企業が、炊き出しで恩返しして、倍返しの注文を頂いた、のでしょうかねぇ。

 

さらに私事ですが、小生の生家は兵庫県芦屋市にあったので、出張の帰路に寄り道をして建物の安否を確認しに行きました。地震から日が経っておらず、本数が少ない電車を乗継ぎ駅を降り立った時の衝撃を小生は忘れていません。有ったはずの建物が無い……、見覚えのある風景と違う……、不安一杯で生家の前に行ったら、

立っていたのです!

家が。

 

当時、誰も住んで居ない家で、門扉に施錠されていた為、中には入れませんでしたが、小生は喜び、夢中で塀越しにCONTAX TVSIIのシャッターを押しまくりました。

 

帰京して現像した映像を見た時、小生の生家が無事だった!、とい思いは崩れ去りました。

立っては居ましたが、隣家に寄り掛かり辛うじて倒壊を免れただけだったのです。家が完全に傾いていたのです。

所謂、「全壊」でした。

 

この大地震から22年、阪神地方は生活面では復興したものの、昔の面影は失われました。旧家の風情を残した山の手の家々は立て直され町並みが変わってしまったのでした。それと、阪神地区は未だに経済的には復興できていないのではないか、と小生は思っています。それほど、災害により生活基盤を失う、というのは大変な事なのだと思うのです。 関東地区に住む我々、明日は我が身です。正直、恐ろしいです。

 

今日はここまでです。

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