10月 出来事

10月29日 <自由党解党の決議なされる(1884年=明治17)>

1884年(明治17)のこの日、同年9月に起こった加波山事件によって党内統制の自信を喪失していた自由党は、大阪・北野の大融寺で行われた同党大会に於いて解党を議決しました。

これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

自由党という名前の付く政党、あるいは名称に自由が入る政党は、我が国のみならず世界に数多く存在します。現代においても小沢一郎率いる「自由党」や政権与党の「自由民主党」などがあります。

今回の記事は日本で初めて出来た自由党が解党の決議をした…という話題です。

 

自由党(じゆうとう)は、実は日本最初の政党なのです。

1880年(明治13)、愛国社は全国の民権派政社の代表を集め、大阪で第4回大会を開き、国会期成同盟を結成して河野広中・片岡健吉が代表となり国会開設を請願しようとしました。全国の地方政社からも請願が相次ぎ、国会開設運動は大いに盛り上がったのです。

そしてまた、全国的に民権派政社を結集する中央政党結成の気運が活発になっていました。

 

国会期成同盟では、自由主義を標榜する政党の結成を進めていましたが、1881年(明治14)10月に国会開設の勅諭が出されたのを契機にして、自由民権派の政党が生まれて行きました。その最初が、国会期成同盟を母体に板垣退助を総理(党首)、中島信行を副総理として1881年(明治14)10月に結党したのが自由党です。

この自由党は

  • 自由ヲ拡充シ権利ヲ保全シ幸福ヲ増進シ社会ノ改良ヲ図ル
  • 善良ナル立憲政体ヲ確立スル

といったことを綱領とし、自由主義の立場に立って行動は比較的急進的な傾向でした。党員も悲憤慷慨の志士型が多く、代言人(弁護士のこと)・新聞記者などの元士族の知識層や、豪農・地主・商工業者ら地方有力者層を基盤としていました。

 

ところが、国会が開設される1890年(明治23)まで10年という長期間を指導していくことの困難さや、1882年(明治15)11月からの板垣退助。後藤象二郎の外遊に端を発した内紛問題、立憲改進党との軋轢、弾圧強化、資金難などで自由党はガタガタになっていったのです。

そして、1882年(明治15)ころから起きた自由党急進派の以下の暴走事件が相次ぎました。

  • 1882年(明治15)11月:福島事件
  • 1883年(明治16)3月:高田事件
  • 1884年(明治17)5月:群馬事件
  • 1884年(明治17)9月:加波山事件
  • 1884年(明治17)10月:秩父事件
  • 1884年(明治17)10月:名古屋事件
  • 1884年(明治17)12月:飯田事件
  • 1885年(明治18)11月:大阪事件
  • 1886年(明治19)6月:静岡事件

このような混乱の中で、自由党は統制力を失い、正常な政党活動が困難になったため、1886年(明治19)のこの日、大阪・北野の大融寺で行われた自由党大会で解党が議決されました。

また、同年12月には、立憲改進党も大隈重信・河野敏鎌ら幹部が脱党して活動を停止し、ここに自由民権運動は一旦衰退することになったのです。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

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