12月1日 <江戸幕府、渋川春海を天文方に任ずる(1684年=貞享元)>

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1684年(貞享元)のこの日、2代目安井算哲(やすいさんてつ。渋川春海・しぶかわはるみ)が新たに貞享暦を作った功績を認められ初の天文方(てんもんかた)を仰せ付けられました。

これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

天文方は、江戸幕府によって設置された役職の一つで、天体運行および暦の研究機関です。

編暦作業は、もともとは朝廷の陰陽寮(おんみょうりょう)の所轄でした。この陰陽寮は中務省に属した官司で、中国的な占いを行う陰陽師、暦を作る暦博士、天変を監視する天文博士、水時計を管理する漏刻(ろうこく)博士などが属し、暦の作成は土御門家がその任にあたっていました。

 

江戸幕府に囲碁の技で仕えた2代目安井算哲(渋川春海)は、幼少から天文に興味を持っていました。春海はみずからの観測をもととし、理想的な暦法とされていた元の授時暦(じゅじれき)を範にとり、中国と日本との間の経度差(里差)を考慮して、京都を基準とする新暦法を編纂しました。これが日本で作られた最初の暦法で、「大和暦」と名付けられ、1684年(貞享元)に朝廷に献上され採用が願いだされました。

朝廷は明の大統暦による改暦を決定していましたが、同年10月29日にこれを改めて大和暦を採用し、この時「貞享暦」の名を賜りました。

この功績により、同年(1684年・貞享元)のこの日、春海は新設された役職天文方を仰せつかりました。これ以降は、頒暦の天文学的部分は天文方が、暦注は暦家の幸徳井(こうとくい)家が担当することとなり、それまでまちまちであった地方暦の統一が実現しました。

 

この天文方、常置されたのは1744年(延享元)からで、当初は寺社奉行に属しましたが、1746年(延享3)からは若年寄支配に変わりました。その業務は天文観測・編歴・改暦・測量・地誌編纂でした。職禄は100俵5人扶持で、世襲制でした。まぁ、専門職という性格が強かったこともあり、有能な弟子を養子にすることが多かったようです。また、改暦などのときには配下や民間からもとりたてられることもあり、幕末までに渋川・猪飼・西川・山路・吉田・奥村・高橋・足立の八家が天文方に任じられました。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

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