12月9日 <源頼朝、永福寺を建立(1189年=文治5)>

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828年前のこの日、源頼朝は鎌倉で永福寺(ようふくじ)の建立を始めました。

これは鎌倉時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

その昔、小生が日本史を習い始めた頃は、1189年は鎌倉時代ではありませんでした。鎌倉時代は「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」という語呂合わせで、1192年(建久3)に源頼朝が征夷大将軍に任命された時に鎌倉幕府が成立し、鎌倉時代が始まったと覚えたものでした。

現在は、1185年(文治元)11月に守護・地頭の任命権を頼朝が獲得した際に、その支配権が東国を中心に広く全国に及ぶことになったので、その時をもって鎌倉幕府が成立した、とするのが通説です。それゆえ、今日の記事は鎌倉時代の出来事としました。

 

1189年(文治5)のこの日、源頼朝は鎌倉で永福寺の建立を始めました。この寺の名前「ようふくじ」なんです。「えいふくじ」ではありません。

頼朝は奥州征伐の際、平泉にあった豪華な建物を見て、

「儂も同じような建物を建てたいものだ…」

と思うに至りました。

この建物は、奥州藤原氏を滅ぼした際、戦いで命を落とした源義経・藤原泰衡などの人々の怨霊を鎮め、冥福を祈るためのものでした。

とくに、平泉にあった平泉中尊寺の2階建ての大堂(大長寿院)を模すことを頼朝は望んだそうです。そのことが、この永福寺が二階堂とも呼ばれる所以となったのでした。

 

工事は3年ほどかかり、1192年(建久3)11月に本堂が完成し、落慶供養が行われました。

しかし、1405年(応永12)の火災ののち廃絶してしまいました。その後、数世紀の間、この永福寺の在った辺りはススキ生い茂る湿地でしたが、2007年(平成19)以降復元整備工事が始まり、2017年(平成29)6月、二階堂、阿弥陀堂、薬師堂などの基壇(基礎)と苑池の復元が完了し、公開されました。現在は、遺跡をもって往時を偲ぶ事が出来ます。

 

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

今日はここまでです。

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