2月10日 <津田左右吉の著書4点が発禁処分に(1940年=昭和15)>

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1940年(昭和15)のこの日、元早稲田大学教授の津田左右吉の著書「古事記及び日本書紀の研究」など4点が発禁処分となりました。いわゆる、津田事件です。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

戦時下に於いて、わが国の学問や思想・言論活動の自由は失われていき、むしろ、そうした活動に対する弾圧事件なども起きました。

 

まず、この時代の思想・言論活動を俯瞰してみましょう。

 

1920年代にはマルクス主義が広く知識人の心をとらえて流行しましたが、1930年代に入ると、政府の厳しい取り締まりや国家主義的気運の高まりのなかで、その主張を転向する者が相次いで、マルクス主義は次第に衰えて行きました。その一方で、日本の伝統的文化・思想への回帰が盛んに叫ばれるようになっていきました。

 

1930年代公判になると、この傾向は一層濃厚になり、共産主義的思想・自由主義的思想に関する言論活動への政府の取り締まりが一段と強化されました。

 

1937年(昭和129には、文部省が「国体の本義」を発行し、また教学局を設置して1941年(昭和16)には「臣民の道」を刊行するなど、国民思想の教化を推し進めました。この頃から、政府・軍部は国体論を前面に強く押し出して、天皇の神格化に努め、また1937年(昭和12)に国民精神総動員運動をおこして、国体観念の国民への浸透と軍国主義・国家主義の鼓吹に力を注いだのでした。

 

1940年(昭和159には内閣情報局が設置され、言論報道機関・出版物・映画・演劇などに対する検閲が強化され、言論の自由は大幅に制約されてしまいました。

 

こうした時期に起きたのが、今日ご紹介している津田事件で、学問・言論活動に対する弾圧にほかならない出来事です。

 

早稲田大学教授の津田左右吉の研究は、厳密な実証により記紀説話の作意の部分を追求したもので、学界では非常に高い評価を得ていました。つまり、神代の説話や聖徳太子に関連する記述は客観的史実に基づくものではない事を論証したのです。

 

その津田教授に対し、右翼の蓑田胸喜・三井甲之らは物凄いの批判を行いました。

「日本精神東洋文化抹殺論に帰着する悪魔的虚無主義の無比凶悪思想家」

(Wikipedia「津田左右吉」より引用)

それ故に津田教授は不敬罪にあたる…としたのです。

 

そして、1940年(昭和15)年の今日、「古事記及び日本書紀の研究」「神代史の研究」「日本上代史研究」「上代日本の社会及思想」の4冊が発売禁止処分にされたのです。

 

また津田教授は、同年1月に文部省の要求で早稲田大学教授も辞職させられています。 更に、津田教授と書籍の発行者岩波茂雄は同年3月に「皇室の尊厳を冒涜した」として出版法(第26条)違反で起訴され、1942(昭和17)年5月には有罪判決を受けています。

 

現代は、物を言う自由は表向きには保障されているだけ幸せなのかもしれません。表向きは…

 

 

2.他の年、この日の記事

他の年のこの日には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

 

今日はここまでです。
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