2月3日 節分にちなんだ雑談

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いつもであれば、「○○年前のこの日」という書き出しで始まりますが、今日は節分ということもあり、出来事から離れて、それでもその歴史や由来の気楽な話を書くことにします。

これは2分程度で読める記事です。
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1.節分、その歴史と行事

 

節分は、雑節の一つで、立春・立夏・立秋・立冬といった各季節の始まりの日の前日のことですが、近世以降、時代で申せば江戸時代以降は、とくに立春の前日を指すことが一般的になりました。

この立春は、現行の太陽暦では2月4日頃なので、節分といえば、その前日の2月3日です。ところが、中世では12月か1月のはじめでした。この節分の行事といえば

「鬼は外、福は内」と声を掛けながら煎った大豆を打ち撒いて、その後、豆を年の数だけ(或いは年齢+1)頂いて厄除けを祈願する…

というものが代表的ですが、この節分の豆撒きは、1447年(文安4)の「臥雲日件録」によると、室町時代にはすでに京都で行われていた事を表す記録が残っており、足利将軍家では、豆ではなく、なんと勝栗を撒いていたそうです。

掛け声の「鬼は外、福は内」の言葉も、また上記の「臥雲日件録」に「散熬豆因唱鬼外福内」とあるので、こちらもまた室町時代にはすでに行われていました。全国的にみると、この掛け声は地域によっては若干の相違があり

  • 「福は内、鬼も内」:鬼を改心させて弟子にした故事に由来。
  • 「福は内、鬼は内」:鬼の付く姓の家庭や、鬼が付く地名の地域に多い。大名九鬼家の領地で藩主に敬意を払った。
  • 「福は内、鬼、外」:丹羽氏が藩主であった旧二本松藩領では「お丹羽、外」につながる「鬼は外」を避けた。

などと言う地域もあるそうです。

 

時代が遡って、平安・鎌倉時代には、節分の日に「方違え(かたたがえ)」が行われました。

この方違えとは、陰陽道(おんみょうどう)の信仰に基づくもので、その夜だけは別の家に入って邪気を避ける行事で、とくに貴族のあいだでは盛んに行われたそうです。

小生は、よく知らないのですけど(知らないなら書くな!というのは、チョト置いておいて…)、昨今流行っている「吉方位旅行」なぁんてのも、この方違えの一種なのでしょうかねぇ。

 

2.他の年、この日の記事

他の年のこの日には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

 

今日はここまでです。

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