2月4日 <「茶は養生の仙薬なり。」栄西、源実朝に茶を勧める(1214年=建保2)>

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1214年(建保4)のこの日、鎌倉幕府第3代将軍源実朝は、前夜の酒のせいもあり気分が悪かったのです。栄西がこれを耳にし、寿福寺から茶を取り寄せて実朝に勧めました。そして同時に、座禅の余暇に茶の効用を記した書物も勧めました。この書物が、「喫茶養生記」です。

これは鎌倉時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

茶を飲むことは、中国の宋で流行った風習ですが、日本に伝えられたのは鎌倉時代初期、禅僧の栄西によってでした。

栄西の著書の「喫茶養生記」の序文には

茶は養生の仙薬なり。延齢の妙術なり。山谷之を生ずれば其の地神霊なり。人倫之を採れば其の人長命なり。

(栄西「喫茶養生記」序文より)

とあるように、当初は薬として用いられたもので、まず貴人・禅僧の間に広まり、やがて一般にも飲まれるようになっていきました。

 

この日、栄西が実朝に勧めた書籍「喫茶養生記」は、諸病発生の要因と茶の薬効を説いた上下2巻からなる書籍で、1211年(建暦元)も初稿が出来、その3年後の1214年(建保2)に修訂再編したものを「茶徳を誉むる所の書」として実朝に献上した、とされています。

この中には

「心臓は苦味を好むので、茶の苦味によって心臓の病を治し、五臓が調和する」

といったことも書かれているほか、茶の種類(名称・樹形・効能・採取時期)や抹茶の製法、身体を壮健にする茶の効用が説かれています。更には、飲水(糖尿病のこと)・中風・不食・瘡病・脚気の五種相の原因と治療法、とくに病のもととなる冷気に効く桑粥については詳しく書かれています。

 

良薬は口に苦し…といったところなのでしょうかねぇ…

 

2.他の年、この日の記事

他の年のこの日には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

今日はここまでです。

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