4月21日 <忠犬ハチ公の銅像の除幕式開催(1934年=昭和9)>

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1934年(昭和9)のこの日、東京・渋谷で忠犬ハチ公の銅像の除幕式が盛大に行われました。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

これは、3月8日の忠犬ハチ公が亡くなった時の記事の続編です。3月8日の記事はこの下のリンクからどうぞ。

→ 3月8日 <忠犬ハチ公、亡くなる!(1935年=昭和10)>

 

1934年(昭和9)4月21日、東京・渋谷駅前で、忠犬ハチ公の銅像の除幕式が催され、多くの市民が集まりました。春うららかな好天に恵まれたその日、ハチ公の銅像には紅白の布が着せられ、除幕式会場の付近の出店ではハチ公せんべいなるものも売られた様です。

 

ハチ公は1923年(大正12)の冬、秋田県大館市で生まれたオスの秋田犬でした。子犬はやがて東京帝国大学農学部教授の上野英三郎に貰われました。

 

犬好きの上野教授は、この子犬を大層可愛がり、ハチと名付けられたこの秋田犬は、主人の教授を毎朝渋谷駅まで送り、夕方になると迎えに行くのが日課でした。

 

ところが1925年(大正14)5月21日に、上野教授は外出先で脳出血の為に亡くなってしまったのです。しかし、何も知らないハチは、毎朝夕、いかなる天気でも渋谷駅に通い続けました。10年間も、ハチはこの行動を繰り返しました。上野教授の遺族がいなくなり、住み慣れた家も追われ、野良犬同然になっても、この日課は変わりませんでした。

 

その間、他の人間に飼われた事もあったようですが、それでも渋谷に顔を出しました。姿を見せるのは大体午前9時、夕方は6時と決まっていたそうです。

 

こうしたハチの姿が、渋谷駅の名物となり、ある日、日本犬保存会会長の斎藤弘吉氏が朝日新聞に投稿したことがきっかけで、社会面で取り上げられ大きくブレイクし、外国にまでその名を轟かせました。

 

そうして、銅像まで出来てしまった当のハチは、主人の他界も知らず、銅像完成の翌1935年(昭和10)3月8日に虹の橋を渡りました。

 

造られたハチ公の銅像は、第2次世界大戦の金属供出の際に撤去されましたが、戦後の1948年(昭和23)に再建され、現在に至っています。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

 

今日はここまでです。

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