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4月8日 <信長、ルイス・フロイスを質問攻め(1569年=永禄12)>

1569年(永禄12)のこの日、織田信長ははじめて宣教師のルイス・フロイスに面会し、質問攻めにしました。

これは安土桃山時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

さて、この記事は、昨年書いた<信長、ルイス・フロイスと会う(1569年=永禄12)>でお約束しました続編です。

 

1569年(永禄12)のこの日、信長は宣教師ルイス・フロイスに初めて会ったのですが、その直前に、松永久秀が信長を訪問してきました。そして

「キリシタンの至るところはことごとく騒擾(そうじょう)し、破壊せらるるゆえに、ふたたび放逐せん」

ことを懇願しました。しかし、信長はこれを一笑に付し

「ただ一人の者が都のごとき大なる都市に滞在することによって、一国を乱す原因となると考えのある久秀の心ははなはだ狭隘(きょうあい)である」

として、その意見を退けたそうです。

それでも、信長はただちにフロイスに会いませんでした。

というのも、

  • 外国人の引見にいかなる礼儀をもちうべきか知らなかったこと
  • 密かに面会すると、フロイスが洗礼を授けるために懸念する者があること

この2つを恐れたためでした。

ところが、いざ面会してみると、信長はフロイスを質問攻めにして、1時間半〜2時間も語り合ったそうです。

今回の記事では、その際のやり取りをご紹介しましょう。

信長は、

「フロイスは何歳?」

「ポルトガルおよびインドより日本に来て何年になる?」

「何年学んだか?」

「日本に滞在したい?」

といったどうでも良いやり取りののち

信長:「若しデウスの教えがこの国に弘布せざるときは、インドに帰るべきか?」
フロイス:「たとえキリシタンがただの一人nほかなしとするも、これを持続するため、パアデレ一人は一生当地に留まるべし。」

 

信長:「なにゆえ都において繁昌することなきか」
フロイス「穀物が生じても、荊棘はなはだ多ければただちにこれを枯死させてしまう。そのようの宣布を止めんため各種の手段をつくす。このゆえにキリシタンとならんと欲する者は多しといえども、この妨害を見て猶予するなり。」

 

信長はここで仏教僧侶らの「忌むべき生活と悪しき習慣」を長々と説いて

信長:「坊主らは金銭を得、肉体を喜ばしむることのほか望むものなし」

と断言したそうです。フロイスはこの返答を好機として捕らえ仏教僧侶との宗論を希望し、さらに居住のための朱印状の下付を信長に請いました。信長はこれに対し「愉快なる容貌を示したるのみ」であったそうです。

 

信長はこの問答ののち、フロイスに無償で朱印状を与え、ついで会堂を引き渡すに至ったのでした。

 

この問答と、その後の動きには信長のどんな意図があったのでしょうか?

信長自身の「傾奇者(かぶきもの)」らしい猟奇的趣味と、もう一つは仏教僧侶への対抗的役割をキリスト教に与えようとしたものと考えられています。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

 

今日はここまでです。

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