5月28日 <邦人保護のために関東軍を山東省に出兵。第一次山東出兵(1927年=昭和2)>

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1927年(昭和2)のこの日、前日の山東省における日本権益と邦人との保護及び治安維持のために出兵する政府決定を受け、陸軍中央部は関東軍に出動命令を下しました。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

1921年(大正10)〜1928年(昭和3)にかけて、中国では広東の南方革命政権が北方軍閥政権打倒を目指して軍事行動を起こしました。

これは北伐と呼ばれ、特に、1926年(大正15)7月〜1928年(昭和3)8月の蒋介石(しょうかいせき)を総司令官とした国民革命軍の出兵を指します。

1927年(昭和2)3月に、南京に入城した中国北伐軍が日本領事館を襲撃するなど外国人に暴行した、いわゆる南京事件が、ついで同年4月に、漢口の日本租界内で、日本水兵と中国民衆とが衝突した、いわゆる漢口事件が発生し、日本人の生命財産の安全が脅かされる事態に至ったのです。

 

時の政府、憲政会の第1次若槻内閣の幣原喜重外相は内政不干渉主義に則って、上記の国民革命軍の北伐にも干渉をさジェル方針をを保持していました(幣原外交)。これに対しては、陸軍・国家主義団体・野党(立憲政友会)・中国に利権を有する実業家などからは、中国における日本の権益を守れない

「弱腰の軟弱外交」

と避難の声が上がりました。

 

1927年(昭和2)4月に成立した立憲政友会の田中義一内閣は、欧米諸国に対しては幣原外交の協調姿勢を保ちつつ、一方、中国に対しては国民革命軍が華北に近づくと、邦人保護の名目で中国に強硬姿勢をとることにしました。

同年5月27日、政府は山東省における日本の権益と日本人居留民2万人の保護および治安維持のため、陸海軍を派遣することを決定したのです。

そして翌日のこの日、陸軍中央部は関東軍に対し、在満洲の歩兵第33旅団を青島に派遣待機させる旨の命令を下しました。ここに第一次山東出兵が発令されました。

 

この山東出兵はその後、1928年(昭和3)4月、同年5月と合計3回にわたって行われ、当初の邦人保護目的ではなく革命軍への干渉戦争の性格を強めていきました。最終的には外交交渉の結果、1929年(昭和4)5月に撤兵を完了しました。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

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