1955年(昭和30)のこの日、東京都砂川町(現・立川市)で、立川基地拡張反対総決起大会が開催され、砂川闘争が始まりました。
これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
砂川闘争は、砂川紛争とも言われていますが、1950年代後半に展開された最大の米軍基地反対闘争でした。
法学部出身の小生は、安保条約と憲法第9条問題を焦点とする裁判として学びました。
事の発端は、1955年(昭和30)、東京都砂川町(現・立川市)で米空軍立川基地拡張のため民有地の強制測量が開始されると、住民はこれに強く反発し、同年のこの日、立川基地拡張反対総決起大会が開催されました。
砂川町議会では基地の拡張への反対を満場一致で決議し、宮﨑伝左衛門町長をはじめとして基地拡張反対同盟を結成して町ぐるみで反対運動を展開しました。
各地の反基地運動の高揚のなか、この砂川町の動きは全国の注目を集めました。
以降、労働組合員や学生も参加した反対運動が組織され、流血の事態も発生するほど運動は激しいものでした。
1957年(昭和32)、反対運動のなかで、基地内に立ち入った7人を検察が日米行政協定にともなう刑事特別法違反で起訴したのです。
これに対し、1959年(昭和34)東京地裁が米軍駐留を憲法違反として7人全員に無罪を言い渡しました(伊達判決)。
検察はこの判決を不服として、異例の飛躍上告を実行しました。
最高裁は、安保条約には高度の政治姓があり、裁判所の審査に馴染まないとの判断を示し、原判決を破棄したのでした。
近年、集団的自衛権の問題の際に「砂川判決」という言葉を耳にされたことを覚えておられる方もおいででしょうね。
その話は、また後日にしましょう。
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
今日はここまでです。
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