756年(天平勝宝8)のこの日、光明皇太后が聖武太上天皇の遺愛品を東大寺盧舎那仏に献納し、これが正倉に収蔵されました。これが正倉院の始まりです。
これは奈良時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
現在、正倉院といえば、東大寺のものを指しますが、正倉院というものは、到るところにあったそうです。
奈良・平安時代の中央・地方の官衙(かんが:役所のこと)や大寺院には重要物品を収める倉庫が設置されていました。その倉庫は正倉とか正蔵と呼ばれ、その正倉が幾棟か集まった一郭が正倉院と呼ばれたのです。
現在では東大寺正倉院内の正倉一棟のみが残り、正倉院といえば東大寺…ということになり、そして固有名詞としても認識される様になりました。
東大寺の正倉院といえば、三角材を井桁に組んだ校倉造(あぜくらづくり)と呼ばれる特徴的な構造をしていますが、その築造については記録は残っていません。
校倉造の写真がWikipediaにあったので、例の如く無断借用してきました。写真またはその下の青文字からWikipediaの大きな写真が見られます。
築造の記録は無い…と書きましたが、正倉院成立の発端の出来事についての史実はあります。
756年(天平勝宝8)のこの日、光明皇太后が聖武太上天皇の77忌に遺愛の品々や薬物を東大寺盧舎那仏に献物帳を添えて献納し、それが正倉院に収蔵されました。これが正倉院成立の発端です。それ以来、勅封(ちょくふう)の倉として管理されました。
正倉院の宝物は有名ですが、薬物も収められていたんですねぇ。
その薬物は、目録「種々薬帳(しゅじゅやくちょう)によれば麝香(じゃこう)から冶葛(やかつ)といった60種類の生薬で、そのうち40種が現存しているそうです。756年(天平勝宝8)の献納後、たびたび出納されて実用に供された記録が残っています。その原産地は中国のみならず、東南アジア、西アジアに及んでいます。
正倉院はこの後、1100年余り東大寺によって管理されましたが、1875年(明治8)以降、その管理は国に移管されました。
ちなみに、現在は、収められていた宝物は正倉から空調設備の整ったコンクリート造の新宝庫に移納されています。
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
昨年は記事作成をサボっており、この項は無しです。
今日はここまでです。
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