1976年(昭和51)のこの日、自由民主党の河野洋平らを代表とする新自由クラブが結成されました。
これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
1976年(昭和51)といえば、5月には国会にロッキード問題に関する特別委員会」が設置され「総理の犯罪」とまで呼ばれた汚職事件(ロッキード事件)があり、政治倫理が問題となっていました。
このロッキード事件を契機として、自由民主党を離党した河野洋平ら6議員が同年(1976年)のこの日、「保守政治の刷新」を掲げて新自由クラブを結成しました。その時、次の様な発言がされたことが良く知られています。
「自民党はすでに歴史的役割を終えた」
河野洋平といえば、若手時代は「自民党のプリンス」と呼ばれていました。「政治工学研究所」という勉強会を主宰し、党内左派の中堅・若手議員を引っ張るリーダー的存在でした。新自由クラブは「政治工学研究所」に籍を置いていた議員たちが自由民主党を離党して結成され、長らく自由民主党のみであった保守系政党にあらたな政党が生まれたことでちょっとしたブームになりました。
同年12月に行われた総選挙では、ブームにも乗って「革新政党はイヤだけど自民党もアレだよなぁ…」といった感じの大都市の浮動票を集め、何と17人の当選者を出しました。
しかしながら、それ以降は自民党と中道政党との間で動揺をみせ党勢は衰えていき、1986年(昭和61)に解党して自由民主党に復帰しました。この間、1983年(昭和58)以降は自由民主党と連携して中曽根内閣を支えました。
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
今日はここまでです。
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