1935年(昭和10)のこの日、吉岡隆徳(よしおかたかのり)は甲子園南運動場で行われた日本陸連主催の関東・近畿・比島(フィリピン)三対抗陸上競技大会に於いて、100mで10秒3の世界タイ記録を出しました。
これは時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
次のリストを御覧ください。昨年までの陸上100m日本人男子の記録10傑です。
順位 | タイム | 選手名 | 所属 | 記録日(初回) | 場所 |
1 | 9″98 | 桐生祥秀 | 東洋大学 | 2017年9月9日 | 福井 |
2 | 10″00 | 山県亮太 | セイコーホールディングス | 2017年9月24日 | 大阪 |
2 | 10″00 | 伊東浩司 | 富士通 | 1998年12月13日 | バンコク |
4 | 10″02 | 朝原宣治 | 大阪ガス | 2001年7月13日 | オスロ |
5 | 10”03 | 末續慎吾 | ミズノ | 2003年5月5日 | 水戸 |
6 | 10”05 | サニブラウン・ハキーム | 東京陸協 | 2017年6月24日 | 大阪 |
7 | 10”07 | 江里口匡史 | 早稲田大学 | 2009年6月28日 | 広島 |
7 | 10”07 | 多田修平 | 関西学院大学 | 2017年9月9日 | 福井 |
9 | 10”08 | 飯塚翔太 | ミズノ | 2017年6月4日 | 鳥取 |
9 | 10”08 | ケンブリッジ飛鳥 | ナイキ | 2017年6月23日 | 大阪 |
何と、日本10傑のうち太字表示の6人は昨年に出した記録なんですね。日本の陸上短距離で久々にワクワクするような、複数の有力選手がせめぎあう状態になっています。
80年ほど前に、陸上の100m走で世界の頂点を極めた日本人のアスリートが居ます。
その名は吉岡隆徳(よしおかたかよし)。
1909年(明治42)に島根県で生まれた吉岡は、1930年(昭和5)6月に京城府(現・ソウル特別市)で10秒7の日本タイ記録を樹立しました。翌1931年(昭和6)4月に南部忠平にその記録を破られたものの、翌月には吉岡は10秒5を出して日本人のトップに返り咲きました。
翌1932年(昭和7)8月、第10回オリンピックロサンゼルス大会の、男子100m走で6位入賞を果たした。以降、日本人のオリンピックの100m走のファイナリストは生まれていません。この時、吉岡には暁の超特急というニックネームが付いていますが、それは、同じロサンゼルス大会で100m走で金メダルを獲得したエディ・トーランが「深夜の超特急」と呼ばれたことにちなんで、当時読売新聞の記者であったスポーツライターの川本信正氏が命名したのだそうです。
オリンピックの翌年1933年(昭和8)9月には吉岡は10秒4を記録し、自己ベストを0秒1更新しています。
1935年(昭和10)のこの日、南甲子園運動場で行われた、関東・近畿・比島(フィリピン)三対抗陸上競技大会において吉岡は、遂に10秒3の世界タイ記録を樹立します。同月15日にも明治神宮外苑競技場で行われた日比対抗戦で再度同タイムを記録したのでした。
その当時、10秒3を記録していたのは、吉岡の他にはラルフ・メトカーフなどら3人しか居ませんでした。
吉岡といえば、カタパルトで飛び出す戦闘機の様な低い姿勢からの鋭いスタートダッシュが持ち味で、世界最速のロケットスタートでした。
しかし、翌1936年(昭和11)に行われたオリンピックベルリン大会ではメダルへのプレッシャーからか10秒8のタイムで2次予選で敗退してしまったのでした。
桐生祥秀をはじめとする若人たちが、来る2020年オリンピック東京大会で吉岡以来となるファイナリストとなれるか…日本人が誰も見たことのない景色を目にするスプリンターとして成長して欲しい…と天国の吉岡隆徳もまた思っているかもしれません。
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
今日はここまでです。
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