10月7日 <加賀大聖寺藩一揆が起こる(1712年=正徳2)>

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1712年(正徳2)のこの日、加賀藩の支藩である大聖寺藩6万石で、農民5,000人が決起し、打ち壊しを伴う強訴を起こしました。強訴としては最も先駆的な事例です。

これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

加賀藩の支藩大聖寺藩6万石の加賀国江沼郡は、1712年(正徳2)8月の強風のため多大な被害を蒙り、農作物は不作でした。

 

農民たちは幾度となく年貢の減免を願い出て、ようやく藩も検分役人を廻村させて年貢率を決定しようとしましたが、減免をまったく認めずに村を素通りしてしまうという決定が実情に即していないと村人たちが怒り、同年10月6日那谷寺(なたでら)に来た郡奉行らの宿舎を襲い一行に礫(つぶて)を投げて追い返したのです。

 

そして、その翌日の同年10月7日(今日ですが)、5,000人が一揆を起こし、藩に年貢4割に減免することを認めさせたのち、串茶屋・山代・山中の各村で富商・十村(とむら。大庄屋のこと)らを打ち壊しました。

 

この大聖寺一揆は、1村役を除いて名主から下人にいたるまで男は1人残らず参加したという惣百姓一揆ですが、激しい打ち壊しを伴う強訴はこれ以降広範に発生するようになり、この大聖寺一揆はその最も古い例に属します。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

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