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9月30日 <臨済宗の僧侶、夢窓疎石没する(1351年=観応2)>

1351年(観応2)のこの日、鎌倉後期〜南北朝期にかけて臨済宗の黄金期を築いた禅僧、夢窓疎石が没しました。

これは室町時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

夢窓疎石は鎌倉後期〜南北朝期にかけての臨済宗の僧で、道号が夢窓で法諱が疎石です。

伊勢国に生まれた疎石は、

鎌倉時代末期には武家社会の上層に広まった臨済宗の僧、夢窓疎石は室町幕府初代将軍足利尊氏の厚い帰依を受けました。疎石は尊氏・直義兄弟に元弘の変以来の戦死者の霊を弔うことを勧め、国ごとに安国寺・利生塔と呼ばれる一寺一塔を建立させました。

また後醍醐天皇を追善するため尊氏らの援助で天龍寺を造営し、自らその開山となりました。

このように尊氏と疎石との信頼関係は厚く、その交流がもとで臨済宗の、特に疎石の流派が室町幕府の保護のもとで栄えたのです。

 

疎石はまた漢詩文に優れていたほか、造園の分野でも能力を発揮し

などの名園を残しました。

疎石の著した「夢中問答集」は、足利直義に参禅の指針を教示したものとして知られています。

 

Wikipediaに夢窓疎石の肖像画があったので無断借用してきました。画像またはその下の青文字をクリックするとWikipediaの画像が確認できます。

<夢窓疎石>
(Wikipedia「夢窓疎石」から無断借用)

 

生前に夢窓国師・正覚国師・心宗国師、また死後にも普済国師・玄猷国師・仏統国師・大円国師と7度も国師号を歴代天皇から賜与され、七朝帝師とも称され、臨済宗の黄金期を築いた夢窓疎石は、1351年(観応2)のこの日、没しています。享年76歳でした。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

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