1月16日 <歌舞伎十八番「毛抜」の初演(1742年=寛保2)>

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276年前のこの日、のちに一幕物として独立する「毛抜」が含まれた「雷神不動北山桜(なるかみふどうきたやまざくら)」が大坂佐渡嶋長五郎座において、初演されました。

これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

この「毛抜」という演目、歌舞伎十八番の一つに数えられ、現在でも人気狂言です。

 

その内容をご存知ない方のために…あらすじがWikipediaにあるので、それをまるまる引用して来ます。

公家小野春道の息女である錦の前は、同じく公家の文屋豊秀に輿入れすることになっていたが、その錦の前に降りかかった災難とは「髪の毛が逆立つ」という奇病であり、これにより婚儀が滞っていた。文屋豊秀の家臣である粂寺弾正(くめでらだんじょう)は主の命により錦の前の様子を見に春道の館に来る。そして髪の逆立つ様子を見て驚くが、のちに髭を抜こうとして毛抜きを使っていると、その毛抜きがなんとひとりでに立って動くではないか。不審な動きをする毛抜きを拠り所に、弾正は髪の毛が逆立つというからくりを見破る。それは天井裏に仕掛けられた大きな磁石と、姫君の髪飾りを鉄で作って奇病を作り出し婚儀を妨げ、お家乗っ取りを企む小野家の家臣のしわざだった。粂寺弾正はその家臣を討ち、悠々と引き上げる。

(Wikipedia「毛抜(歌舞伎)」のあらすじから無断借用)

 

1742年(寛保2)のこの日、大坂佐渡嶋長五郎座には満員の観客が詰めかけていました。新作歌舞伎「雷神不動北山桜」の初演が大好評で迎えられ、2世市川団十郎(市川海老蔵)扮する粂寺弾正には

 

「成田屋!」

 

の掛け声がかかり、場内は沸き返ったことでしょう。江戸から上がった団十郎が、荒事を上方の御家騒動狂言の中に活かし、大当たりを取ったのです。この新作歌舞伎は同年7月までのロングランとなりましたが、特に、あらすじを上記した三幕目が好評を博しました。

こののち、この場面が独立して、一幕物の「毛抜」となるのです。

 

「毛抜」は1832年(天保3)に歌舞伎十八番の中に入れられましたが、1850年(嘉永3)に7世市川団十郎(5世市川海老蔵)が演じたのを最後に上演されることがなくなっていました。

明治期になって、1909年(明治42)に2世市川左団次が明治座で復活上演を果たし、人気狂言となり現在に至っています。

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

今日はここまでです。

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