2月28日 <吉田茂首相「バカヤロー」発言(1953年=昭和28)>

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1953年(昭和28)のこの日、吉田茂首相が、衆議院予算委員会で右派社会党の西村栄一議員に対して「バカヤロー」と暴言を吐きました。この発言がきっかけとなって、同年3月14日に衆議院が解散されたため、この解散は「バカヤロー解散」と呼ばれています。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

1953年2月28日に行われた衆議院予算委員会で、右派社会党の西村栄一議員が

「国際情勢について日本の総理大臣として答弁してもらいたい」

という皮肉たっぷりの質問をしたのに対して、吉田首相は自席に座ったまま

無礼なことをいうな」

と口走ったのです。そこで西村議員も怒って

「なにが無礼だ」

とやり返しました。

すると、吉田首相が

 

バカヤロー

 

と暴言を吐いたのです。

 

この失言は流石にテラヤバスと思ったか、吉田首相も後から取り消しましたが、野党はこれを見逃しませんでした。

 

右派社会党は、3月2日に吉田首相の懲罰動議を提出し、191対162で前例の無い首相の懲罰動議が可決されてしまったのです。この時は鳩山一郎派の37名と、農相広川弘禅(ひろかわこうぜん)派の30名が欠席していたからです。

 

この広川派の反旗で農相広川弘禅は罷免(ひめん)され、吉田派と鳩山派の派閥争いも激化していきました。やがて野党3会派による吉田内閣の不信任案が提出されました。

 

3月14日、鳩山・石橋・河野・三木ら22名は自由党を脱党し、不信任案は229対218で可決しました。吉田首相は憲法第69条に従って、同日衆議院を解散しました。

 

以下は「国会議事録検索システム」のなかにあった当日の衆議院予算委員会でのやり取りです。リンクをこの文章の後に貼り付けておきますね。

第015回国会 予算委員会 第31号

下から1/4のあたりに問題の箇所があります。 「○西村(榮)委員 総理大臣は興奮しない方がよろしい。別に興奮する必要はないじやないか。」と始まる辺りに”ーー”と言葉が伏せてある部分があります。 二文字分の部分が「無礼」で、五文字分の部分が「バカヤロー」という言葉であると想像されます。以下の衆議院予算委員会の会議録の引用では、小生がその伏せ字の部分を「無礼」「バカヤロー」に変えてしまいました。

 

○西村(榮)委員

時間もございませんから、その程度にして、調査の結果わが国の法規、日本の利益になるような御回答を煩わしたいということをここに希望して次の質問に移ります。
過日総理大臣が国際情勢は今楽観すべき状態にあるという施政演説をなさつたのであります。私はこの政治感覚をほんとうに日本の施政の上に適用されるかどうかということを考えますと、これは明確にしておかなければならぬと思うのでありますが、総理大臣が過日の施政演説で述べられました国際情勢は楽観すべきであるという根拠は一体どこにお求めになりましたか。

○吉田国務大臣

私は国際情勢は楽観すべしと述べたのではなくして、戦争の危険が遠ざかりつつあるということをイギリスの総理大臣、あるいはアイゼンハウアー大統領自身も言われたと思いますが、英米の首脳者が言われておるから、私もそう信じたのであります。これは最も戦争か平和かという衝に当つておる当局者の言うことであつて、相当な根拠があつて言つておることであろうと考えましたがゆえに、戦争の危険は遠のきつつある。こう私は信ずる。こう申し上げたのであります。

○西村(榮)委員

私は日本国総理大臣に国際情勢の見通しを承つておる。イギリス総理大臣の翻訳を承つておるのではない。あなたの国際情勢を楽観すべきであるという根拠は、イギリス総理大臣チャーチルの演説においてとられたというのであります。アイゼンハウアー元帥は就任以来楽観説を言つておりません。同時にアイゼンハウアー元帥が大統領に就任いたしまして以来、公式声明は国際情勢の緊迫を力説しておるのであります。同時にアイゼンハウアー元帥が当選して就任いたしまして以来、チャーチルの言動はかわつて参りました。チャーチルはアイゼンハウアーが大統領に就任いたしまして以来、国際関係は楽観すべきであるということはどこにも言つておりません。同時に私はここに問題になるのは、なるぼどヨーロツパの情勢は楽観すべく、一応の危機は緩和したかもしれません。しかしながらその危機の険悪な焦点は朝鮮に移つて来て、世界の危機は朝鮮にその焦点がしぼられて来ておる。そこで私は大臣にお尋ねしたいのであります。イギリスの総理大臣の楽観論あるいは外国の総理大臣の楽観論ではなしに、ヨーロッパは緩和したが、朝鮮の問題を中心にいたしまして、風雲は極東に移りつつあるということをすなおに考えて、これに対して日本国家としては一体どうするのであるかということを、一九五三年の初頭に際して、日本の総理大臣に日本国民は問わんとしておるのであります。私は現国際情勢というものをすなおにごらんになつて、しかもわが隣国朝鮮に国際危機の焦点が移つておる、その中に立つて一体われわれはどうするのだということを、日本の総理大臣に国民が問おうとしておるのでありますから、私はこれに対して、やはり日本の総理大臣としての国際情勢の見通しとその対策をお述べになることが当然ではないか、こう思うのであります。

○吉田国務大臣

ただいまの私の答弁は、日本の総理大臣として御答弁いたしたのであります。私は確信するのであります。

○西村(榮)委員

総理大臣は興奮しない方がよろしい。別に興奮する必要はないじやないか。(吉田国務大臣:無礼なことを言うな」と呼ぶ)何が無礼だ。(吉田国務大臣「無礼じやないか」と呼ぶ)質問しているのに何が無礼だ。君の言うことがーーだ。国際情勢の見通しについて、イギリス、チャーチルの言説を引用しないで、翻訳した言葉を述べずに、日本の総理大臣として答弁しなさいということが何が無礼だ。答弁できないのか、君は……。(吉田国務大臣「バカヤロー」と呼ぶ)何がバカヤローだ。バカヤローとは何事だ。これを取消さない限りは、私はお聞きしない。議員をつかまえて、国民の代表をつかまえて、バカヤローとは何事だ。取消しなさい。私はきょうは静かに言説を聞いている。何を私の言うことに興奮する必要がある。

○吉田国務大臣

……私の言葉は不穏当でありましたから、はつきり取消します。

○西村(榮)委員

年七十過ぎて、一国の総理大臣たるものが取消された上からは、私は追究しません。しかしながら意見が対立したからというて、議員をバカヤローとか、無礼だとか議員の発言に対して無礼だとかバカヤローとかと言うことは、東條内閣以上のフアツシヨ的思想があるからだ。静かに答弁しなさい。

 

まぁ、この失言癖は孫にも受け継がれているようですね。

 

2.他の年、この日の記事

他の年のこの日には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

 

今日はここまでです。

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