136年前のこの日、推定規模M8.4、内陸部を震源とする地震としては日本最大級の濃尾地震が発生しました。
これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
1891年(明治24)午前6時38分頃に美濃・尾張両地方を中心に発生した濃尾地震は、仙台以南〜南は鹿児島までの広い地域で地震を感じました。以下にWikipediaから借りてきた地震分布図があります。
今とは異なる地震強度の階級で、基本は
- 「烈」(震度6相当)
- 「強」(震度4-5)
- 「弱」(震度2-3)
- 「微」(震度1)
の4段階でしたが、特に強い場合は「激烈」、基準より弱めの場合は「稍(やや)烈」などの表現が用いられていたそうです。
<濃尾地震の震度分布図(Wikipediaから無断借用>
被害は極めて甚大で、
- 建物全半壊:22万戸余
- 死者 :7,273名
- 山崩れ :1万カ所以上
に及びました。
震源地は、岐阜県本巣郡西根尾村(現・本巣市)付近で、この地震の推定規模はM8.4、内陸部を震源とする地震では日本最大級で、このときに延長80kmをこえる根尾谷(ねおだに)の大断層が出現しました。その根尾谷断層に沿った地域では大きな上下・水平方向への地面のズレが観測されています。水平方向では最大で7.6m、根尾村水鳥(ねおむらみどり)地区では上下6m・水平4mに達するズレありました。
名古屋紡績の煉瓦造りの工場や長良川・木曾川の鉄橋などは壊滅的な被害を受け、西欧流の建築・土木技術の弱点が暴露され、地震多発国である日本における建築・土木技術の研究・開発が急がれました。また翌1892年(明治25)6月に文部省管轄下の震災予防調査会が設置される契機ともなった出来事でした。
以下に、岐阜県の公式サイトにある濃尾地震に関する資料や写真が多く見られるページへのリンクを貼り付けておきます。どうぞ御覧下さい。
岐阜県では、濃尾地震が発生した10月28日を「岐阜県地震防災の日」として指定し、地震防災の啓発などを行っているそうです。また、毎月28日を「岐阜県防災点検の日」として、県民に災害への備えを呼びかけているそうです。関東地方に住む小生にとっては明日は我が身…ですねぇ。
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
今日はここまでです。
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