11月 出来事

11月12日 <柳沢保明が側用人となる(1688年=元禄元)>

329年前のこの日、柳沢保明(やなぎさわやすあきら)が、将軍の身辺雑事を扱う御小納戸役(おこなんどやく)から側用人に大抜擢されました。

これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

柳沢吉保(やなぎさわよしやす)は、初名を房安・保明といい、今日の記事ではまだ、その柳沢保明のころのことです。

父親の柳沢安忠は館林藩主時代の徳川綱吉に仕え、保明もまた小姓として近侍していました。そして、綱吉の将軍就任にともない幕臣となりました。

 

 

1688年(元禄元)のこの日、柳沢保明が、将軍の身辺雑事を扱う御小納戸役(おこなんどやく)から側用人に大抜擢され、他の側用人が大名であったため、1万石を加増されました。

以後も江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の寵愛は続き、数度の加増と異例の昇進で老中格・老中上座となり、1701年(元禄14)には松平の家号と、将軍の諱の一字の「吉」を与えられて松平吉保と称しました。

ところが、それだけではありませんでした。1704年(宝永元)には、甲府城主の綱豊(のちの徳川家宣)が綱吉の継嗣にきまると、そのあと甲府城をたまわって15万石となったのです。甲府は、それまで徳川親族や親藩がおかれるか、もしくは幕領かで在った場所だけに、その出世ぶりは異例のものでした。

 

その加増の物凄さを見てみましょう。

  • 最初:館林藩で禄高160石と蔵米370俵を与えられ小姓組番頭
  • 1680年(延宝8):綱吉が将軍となったときに幕臣・小納戸役
  • 1681年(天和元):300石を加増され、蔵米も禄高にあらためて830石
  • 1688年(元禄元):1万石を加増
  • 1694年(元禄7):川越藩主として72,000石を領して老中格
  • 1704年(宝永元):甲府城主15万石

 

そうして柳沢保明は、荻生徂徠・細井広沢ら学者を重用して元禄期の幕政を主導したこともあり、そのため、保明は綱吉の側用人政治の代表者と目され、後世、綱吉への批判を一身に浴びることになりました。

しかしながら、保明自身には専制的な側面は薄かったそうです。そうした保明自身は、綱吉の死後にすぐに隠居をしたくらいで、批判はされたものの罰せられたということはなかったのでした。

 

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

今日はここまでです。

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