11月18日 <寛政暦の採用を定める(1797年=寛政9)>

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1797年(寛政9)のこの日、翌年から新しい暦の採用が決められました。この暦は寛政暦と呼ばれています。

これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

現在、我々が使っている暦は太陽暦と呼ばれるもので、日本では1873年(明治6)から採用されています。

 

それ以前は、太陰太陽暦(太陰暦・陰暦・旧暦とも言います)という暦でした。この暦は月の満ち欠け(朔望とも言います)により暦月を決め、あわせて太陽の運行によって調整した暦です。古代ローマやユダヤ暦・中国暦などがこの暦に属していました。月の満ち欠け12ヶ月は、実際の1年にと比べて11日余り短いので、様々な手法で閏月(うるうつき)をおいて調整をしていました。

 

日本では、今までに以下の10の暦を採用しています。宣明暦までは中国の暦、貞享暦から天保暦までは日本で作られた暦、そして現在はグレゴリオ暦です。

  • 元嘉暦(げんかれき):?〜697年(文武天皇元)
  • 儀鳳暦(ぎほうれき):697年(文武天皇元)〜763年(天平宝字7)
  • 大衍暦(たいえんれき/だいえんれき):764年(天平宝字8)〜861年(貞観2)
  • 五紀暦(ごきれき):858年(天安2)〜861年(貞観2)←大衍暦と併用
  • 宣明暦(せんみょうれき):862年(貞観3)〜1684年(貞享元年) ←ここまで中国暦
  • 貞享暦(じょうきょうれき):1685年(貞享2)〜1754年(宝暦4) ←日本で初めて作られた暦
  • 宝暦暦(ほうりゃくれき):1755年(宝暦5)〜1798年(寛政9)
  • 寛政暦(かんせいれき):1798年(寛政10)〜1843年(天保14)
  • 天保暦(てんぽうれき):1844年(天保15)〜1872年(明治5) ←太陰太陽暦はここまで
  • グレゴリオ暦(グレゴリオれき):1873年(明治6) ←ここから太陽暦

 

1797年(寛政9)のこの日、翌年から新しい暦の採用が決められました。この新しい暦が寛政暦です。実は、それまで使っていた宝暦暦が余り出来が良くなかったのです。その出来の悪さは、1763年(宝暦13)9月1日に、当時の宝暦甲戌暦に無い月食が起きた事に端を発します。そして1771年(明和8)から修正宝暦甲戌暦が用いられましたが、やがて天体の運行とのズレが生じていたのでした。

 

そこで、江戸幕府は、西洋流の暦法を取り入れて改暦を試みました。当時の幕府天文方には適任者は居らず、1795年(寛政7)に、大坂で西洋暦法の第一人者として高名な麻田剛立(あさだごうりゅう)の弟子であった高橋至時(たかはしよしとき)を天文方に登用して、同門の間重富(はざましげとみ)とともに改暦の準備に当たらせました。二人は先任の天文方と協力して、1797年(寛政9)に京都と江戸で太陽や月の実測を行い、西洋天文学の中国語訳である「暦象考成後編」により寛政暦を完成させました。この寛政暦は、西洋天文学を採用した最初の暦であったのです。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

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