11月19日 <東海道線の全線電化を達成(1956年=昭和31)>

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61年前のこの日、米原〜京都間の電化開通により東海道線が全線電化されました。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

日本の鉄道は1872年(明治5)9月12日に新橋駅〜横浜駅(現在の桜木町駅)間の運行開始をもって始まりました。この出来事については既に記事を書いているので、併せてご覧頂ければ幸いです。

→ 9月12日 <新橋・横浜間に鉄道が走る(1872年=明治5)>

 

そして、東海道線が全線開通したのは、それから17年後の1889年(明治22)7月に関ケ原駅〜米原駅〜馬場駅(現在の膳所駅)間が開業したことにより、新橋駅〜神戸駅までの600.2kmが鉄道で結ばれた時でした。この時の所要時間は20時間5分でした。当時は、まだ「東海道線」の名はまだ付いておらず、路線の名称が決まるのは1895年(明治28)まで待たねばなりませんでした。

東海道線といっても、その頃は、伊豆・箱根、伊吹山、逢坂山の辺りで現在とは異なるルートで運行されていました。交通の難所であったがゆえの事だそうです。

 

現在の東海道線は、東京を起点としていますが、その東京駅が開業したのが、1914年(大正3)12月20日のこと。その時、東海道本線の起点が東京駅となったのでした。

 

本日の記事の話題である電化については、1925年(大正14)に東京〜国府津間が電化されたことに始まります。そして1928年(昭和3)までに東京駅〜熱海駅間の電化が完成し、それまでの蒸気機関車に代わって電気機関車の運用も開始されています。

1934年(昭和9)には丹那トンネルが開通し、国府津駅〜沼津駅間の現在のルートと同じになっています。それと同時に電化区間も東京駅〜沼津駅間で達成されました。この頃の、東京〜大阪間の所要時間は8時間37分。

また、その頃から、京阪神地区でも電化された区間が現れはじめていました。

 

第二次世界大戦のさなかは、この東海道線を使って様々な物資を運んでいたこともあり、1945年(昭和20)に入ると、連合国軍機による空襲や機銃掃射によって駅や線路・車両が破壊されてしまったのです。

戦後、1949年(昭和24)に公共企業体としての日本国有鉄道が発足後、電化区間も沼津駅から西へ再び伸び始めました。

 

そして迎えた1956年(昭和31)のこの日、米原〜京都間の電化されたことにより、念願の東海道本線全線の電化が完成したのでした。東京〜国府津間の電化から31年目のことでした。この頃の、東京〜神戸間の所要時間は7時間30分。この所要時間はその後も短縮が図られ、東海道新幹線の導入の直前の頃は、東京〜大阪間は6時間30分までになっていました。

 

余談ですが、東海道線の東京〜京阪地区の所要時間についてもう少しお話しましょう。

上記のように電化によって大幅に時間を短縮してきたワケですが、その時間の感覚を一気に変えたのが、東海道新幹線でした。1964年(昭和39)の開業当時、東京〜新大阪間が4時間。その翌年には当初の計画通りの3時間10分。そして現在は2時間25分にまで時間短縮がされています。1889年(明治22)の頃から比べると88%も所要時間が短縮されたのですねぇ。

 

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

今日はここまでです。

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