11月2日 <大岡忠相、病気により寺社奉行を辞任(1751年=宝暦元)>

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1751年(宝暦元)のこの日、大岡忠相は病気を理由に寺社奉行と奏者番の両職の辞任を申し出ました。この申請に対し、寺社奉行職の辞任は認められましたが、奏者番は遺留されました。

これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

小生が学生の頃、毎週月曜日の夜8時といえば、TBS系では時代劇をやっていて「水戸黄門」「大岡越前」「江戸を斬る」といった長寿ドラマが放送されていました。

 

今日は、その大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)の話です。

 

大岡忠相は、1677年(延宝5)に2700石の旗本大岡弥右衛門忠高(おおおかやえもんただたか)の4男として生まれました。大岡忠高は、旗本として目付・奈良奉行・御先手鉄炮頭(おさきててっぽうがしら)といった役を歴任した中級の旗本でした。当時は次男以下は家督も継げず肩身の狭い思いをするのが通例で、忠相も4男だったので、大岡一族の大岡忠右衛門忠真(おおおくちゅうえもんただざね)の家に養子に出されました。この大岡忠真もまた御先手鉄炮頭・駿府定番(すんぷじょうばん)などに任ぜられる、これまた中堅どころの旗本でした。

 

1700年(元禄13)に、忠相は養父である忠真の家督を相続します。1702年(元禄15)には初めての役職の御書院番士(ごしょいんばんし)に任ぜられ、その後1703年に御徒士頭(おかちがしら)・1707年に御使番(おつかいばん)・1708年に御目付役(おめつけやく)・1715年(正徳元)評定所出仕・1716年には伊勢の山田奉行・1720年江戸の普請奉行という具合に物凄いスピード出世をします。その背景には、6代将軍徳川家宣(とくがわいえのぶ)や、御用人間部詮房(まなべあきふさ)にその実力を認められ、引っ張り上げられたのでした。

 

7代将軍徳川家継(とくがわいえつぐ)は1712年(正徳2)に3歳2ヶ月で将軍職を継ぎましたが、1716年(亨保元)に急逝してしまいます。その後に将軍職に付いたのが紀伊藩主の徳川吉宗(とくがわよしむね)でした。6-7代将軍の在職中に出世街道を進んできた者は、この吉宗の時代に冷や飯を食わされる人が多かったのですが、この大岡忠相は違いました。吉宗の将軍就任の翌年1717年(亨保2)に忠相は江戸南町奉行に任ぜられたのです。

 

その当時の町奉行は60歳前後の老齢の人が多かったので、大岡忠相の41歳での町奉行というのは異例の大抜擢でした。

 

忠相もその抜擢に見事に応え、将軍吉宗の享保の改革の実務を担当し、

  • 商人の仲間・組合の公認
  • 町火消し制度の創設
  • 小石川養生所の設置

といった江戸の経済・都市政策を行って行きました。

 

その後も、忠相の出世は続きます。1736年(元文元)には寺社奉行になります。さらに1748年(寛延元)には奏者番(そうじゃばん:将軍と大名との取次役)も兼ねる様になり、三河国西大平藩一万石の大名となったのです。江戸時代を通じて町奉行から大名にまで上り詰めたのは、大岡忠相ただ一人でした。

 

出世街道を突き進んできた大岡忠相も人の子、1750年(寛延3)頃から体調を崩していた、という記録があり、そして遂に1751年(宝暦元)のこの日、寺社奉行・奏者番両職の辞任を願い出ました。ところが、寺社奉行辞任に関しては受理されましたが、奏者番辞任は認められず慰留されました。その大岡忠相は同年の12月19日に亡くなりました。享年75歳でした。

 

大岡忠相が、ある日一族の大岡出雲守忠光(おおおかいずものかみただみつ)から政治の心得について尋ねられ、以下の様に答えたそうです。

「都(す)べて、人に対し候ても、世に対し候ても、万端を合せ候での御計(おんはかり)こそ然(しか)るべし。然し、実を以て合せ給ふ事肝要の心得なり」(耳袋より)

大意は「個々の人間に対する場合でも、また広く世間一般の問題に対する場合でも、決して一面的に考えてはならない。物事はすべて総合的に判断しなければならない。そして、その総合的に考えるということも、ただ、形の上でそうするのではなく、真実・本心からそうしねければならない。」という感じでしょうか。

この回答を貰った大岡出雲守忠光は9代将軍徳川家重の側近として活躍し、側用人や若年寄を歴任したようです。

 

それにしても、この言葉には大岡裁きの真髄ともいえる考え方のエッセンスが含まれていると思います。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

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