11月3日 <「君が代」初めて演奏(1880年=明治13)>

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137年前のこの日、明治天皇の天長節にあたり、「君が代」がはじめて宮中で演奏されました。

これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

11月3日は、明治天皇の御誕生日でした。天皇陛下の誕生日であったので、11月3日は天長節と呼ばれていました。現在であれば、12月23日が天長節ということになるワケで。あ、もちろん天皇誕生日という国民の祝日になっていますけどね。

 

さて、1880年(明治13)のこの日、天長節にあたり「君が代」が初めて宮中で演奏されました。

 

この「君が代」の楽譜が出来上がったのは、この日から1週間ほど遡った同年10月25日のことでした。

林廣守(はやしひろもり)が作曲した「君が代」を、海軍軍楽教師であったドイツ人のエッケルトが和声を付けて吹奏楽譜に仕上げたのでした。その10月25日に、式部寮雅楽課から林廣守ら4名が海軍軍楽稽古場へ赴き、生演奏を聴き、若干の訂正を加えて楽譜が決定したのです。

 

そして迎えた天長節で、皇居において式部寮雅楽課員が吹奏楽で「君が代」を奉奏しました。これが「君が代」の初演でした。

 

この「君が代」は天皇陛下に対する祝賀の曲として作曲されたものでしたが、その後海軍軍楽隊が外国との交渉の際などに演奏することが多く、外国からは国歌とみなされた、ということです。

 

1882年(明治15)1月、文部卿が音楽取調掛に国歌選定を命じましたが、その時は結論は得られませんでした。

1885年(明治18)には「陸海軍喇叭吹奏楽(りくかいぐんらっぱすいそうがく)」の第1号として定められ、

さらに1888年(明治21)には、吹奏楽譜が海軍省から「第日本礼式」として諸外国に送付され、

そして、1893年(明治26)8月に、文部省が「祝日大祭日歌詞並楽譜」として制定した8曲のうちに1曲に「君が代」がありますが、

 

「君が代」が国歌として法律に定められたことはありません。

 

1890年代には、この「君が代」を国歌とみなす主張が現れ、日中戦争の始まる昭和初期には国歌と同一視されるようになりました。

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

今日はここまでです。

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