11月3日 <映画「ゴジラ」封切(1954年=昭和29)>

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今日という日はどんな日でしょうか?

日本史の中の出来事を覗いてみましょう。

 

1954年(昭和29)3月1日、マーシャル諸島共和国に属するビキニ環礁の水域でアメリカは人類初の水爆実験を行いました。その爆心地より160kmほど東方で操業していた静岡県焼津港所属の遠洋マグロ延縄(はえなわ)漁船第五福竜丸は降り注いだ死の灰を浴び、乗組員23人は全員被爆しました。その二週間後に福竜丸から出荷されたマグロが実は「原爆マグロ」であることが判明し、マグロの市場価格が半値に暴落して大騒ぎになる出来事がありました。

 

東宝のプロデューサー田中友幸は、ある時インドネシアからの帰路、飛行機から外を眺めていました。第五福竜丸の悲劇について思いを馳せながら、眼下の水面を見ている時降ってきたそうです、映画「ゴジラ」の着想が。水爆実験の影響で、ビキニ環礁海底に眠る恐竜が、目を覚まし日本を襲う……かねて「キングコング」のような映画を作りたいという情熱に燃えていた田中氏は、その着想の具体化に取り掛かりました。

 

田中氏は、この映画を日本最初の本格的な「空想科学映画」にしようと思い、円谷英二に特撮監督を依頼しました。監督は本多猪四郎(ほんだいしろう)、出演は宝田明、河内桃子(こうちももこ)、志村喬(しむらたかし)その他でした。勿論、主役はゴジラです。

 

構想当初、映画の題名は「海底二万哩の怪物」でしたが、そのうち東宝本社に「クジラ」が好物で「ゴリラ」の様な顔をした「グジラ」というニックネームの網倉史朗氏が居たことから、「リラ」と「クジラ」を合わせて「ゴジラ」とすることを思いつき、題名も「ゴジラ」で行こうということになったそうです。

 

そして忘れてはならないのが、一昨年が生誕100年であった日本の作曲家伊福部昭(いふくべあきら)氏の手によるあの音楽ですね。低音を主体とした音響に対応する楽器を集めるのに苦労したそうです。演奏したのははNHK交響楽団で、画面を見ながらの演奏だったとか。ゴジラの鳴き声を作ったのは音響技師の三縄一郎氏が、テープを逆回転させるなどし、完成させた、とWikipediaに記事がありました。

 

様々な苦労の末、1954年(昭和29)の今日公開された「ゴジラ」は空前の大ヒットとなり、映画館の扉が閉められないほどの盛況だったそうで、一番館の封切り動員だけで961万人に達し、このおかげで東宝は経営状態を一気に盛り返すことが出来たということです。ゴジラの大成功により引き続き製作された特撮映画の怪獣の名は。いずれも「モスラ」「ラドン」など「ラ」の文字が入る様になったのでした。

 

このゴジラの封切りの後、60年を経た2014年(平成26)公開された米国映画の「GODZILLA ゴジラ」の世界的な興行成功を受けて、日本でも再びゴジラ映画の制作が決定し、2016年(平成28)に東宝製作によるシリーズ29作目となるシン・ゴジラが公開されました。皆様はご覧になられたでしょうか。娯楽映画としてとても楽しい作品でしたよ。まだの方は、是非映画館へ足をお運び下さい。

 

 

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