12月20日 <日本初のボウリング場開設(1952年=昭和27)>

スポンサーリンク

1952年(昭和27)のこの日、東京の北青山に日本初の本格的民間ボウリング場 「東京ボウリングセンター」が開業しました。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
広告


スポンサーリンク
スポンサーリンク

1.解説

 

1952年(昭和27)の今日、東京の北青山に日本初の本格的民間ボウリング場 「東京ボウリングセンター」が開業しました。

 

そのボウリング場が所在していた場所は、外苑前の神宮球場と秩父宮ラグビー場との間、東京都立青山高校の前あたりで、現在はTEPIA(一般財団法人高度技術社会推進協会、Association for Technological Excellence Promoting Innovative Advances)があります。

 

出来た施設にあったレーン数は20。会員制で、

  • 入会金:30,000円
  • 年会費:3,000円
  • ゲーム代:150円/1ゲーム

 

この頃の警視庁の巡査の初任給が6,900円でした。4.5ヶ月分の給与が入会金、給与の半月分が年会費、給与の50分の1(2%)が1ゲームの料金という事もあり、庶民には高値の花で、会員に成ったのは芸能人が多かったそうです。残念ながら、この東京ボウリングセンターは1年ほどで経営破綻してしまいました。そのため、当時の第一ホテルがその経営権を取得し、現在は東京都武蔵野市の吉祥寺第一ホテルに施設を移設して営業を続けています。吉祥寺第一ホテルのボウリング場はレーン数18でゲーム代は450〜750円(曜日。時間帯によって料金が異なります)です。

現在の東京ボウリングセンターのサイトはこちらです。神宮外苑から移設したことが書いてあります。リンクを貼り付けてあります。

→ 東京ボウリングセンター

 

もともとボウリングは宗教的な儀式だったそうです。ピンを悪魔や災いに見立て、それを沢山倒すのが信心の証であり、また沢山倒せたら艱難から逃れられるtされたそうです。歴史的には古代エジプト時代の墓からボールとピンとが発掘されており、年代的には紀元前5000年頃とされています。

 

現在の様な形になったのは、15〜16世紀の宗教改革で有名なマルティン・ルターが作った9本のピンをひし形にならべたのが始まりで、17世紀になりアメリカでも盛んになったボウリングは更に面白さを増す為にピン数を10本とし、並べ方も正三角形に変えられて現代のルールに至っています。

 

日本では、この東京ボウリングセンターの前、1861年(文久元)6月に長崎市の大浦居留地に初めてのボウリング場「インターナショナル・ボウリング・サロン」が開設されていますが、本格的な民間ボウリング場としては東京ボウリングセンターが初めてです。

 

1970年頃、ボウリングは大変なブームとなり、その施設は1972年(昭和47)のピーク地に3697箇所ありましたが、現在(2016年)は821箇所にまで減少してきています。ボウリング人口の減少及び、ブーム時に建てられた施設の老朽化が進み、耐震基準を満たさなくなって次々に廃業しているのが、その理由の様です。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

広告



こちらのリンクからは他の方のblogをご覧頂けます。日本史に関する様々な情報満載ですよ。一度だまされたと思ってポチッ!とな…とされては如何ですか?
↓↓↓
スポンサーリンク
スポンサーリンク
12月出来事
スポンサーリンク
シェアする
wpmasterをフォローする

コメント

Translate »
error: Content is protected !!