139年前のこの日、郵便報知新聞に我が国で初めて、チョコレートの販売広告が掲載されました。
これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
毎年12月25日はクリスマス。
キリストの信徒である小生にとってクリスマスは、イエス・キリストの降誕を祝う祭ですが、キリスト教の信者ではない方々にとっては、そんなことは余り関係のないことでありまして…今回の記事はクリスマスケーキに使われるチョコレートの話です。
ところで、クリスマスの前夜、クリスマス・イヴにどうしてお祭りをするのか…一般的には誕生日が12月25日ならその日に、とお思いでしょうが、実は教会のなかの1日は通常の1日とは違うのです。教会の1日は日没から始まり日没に終わるのです。すなわち、12月24日の日没からクリスマスが始まり、12月25日の日没にて終わるのがイエス・キリストの降誕祭であるクリスマスです。ということは…ですよ12月24日の午後3時はクリスマスイヴではない、ということなんです。
さて、1878年(明治11)のこの日、郵便報知新聞で、東京日本橋區若松町(現・東京都中央区東日本橋)西洋菓子製造本舗両国風月堂米津松造は、西洋菓子製所として各種菓子を宣伝する中に
「新製貯古齢糖」
の絵入り広告を掲げています。
この「猪口令糖」は、チョコレートに漢字を当てたもので、最後の糖という語の使い方はその他のお菓子と合わせたものだと考えられています。輸入の原料チョコレートからの製品加工で、他にも製造している店があったようです。
このころには、チョコレートは庶民にも知られるようになっていたと考えられていますが、高級品だったそうです。また、製品としての輸入チョコレートを販売する店もありました。
実は、チョコレートという名称でなかったら、同年7月16日付同紙で、同じく風月堂米津松造の西洋御菓子の広告の中で「氷菓子アイスクリーム・チョコラ入」という夏らしくチョコレートアイスの宣伝をしております。
更に、同年12月11日付同紙の記事では、『風月堂新製ショコラート』の見出しで、若松町の風月堂がショコラートを新製し大評判と報じています。
いずれも、微妙な表現ではありますが、「チョコレート」という名称を使った最初の宣伝は、という記事でした。
2.過去年の記事
過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。
今日はここまでです。
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