12月26日 <鑑真が来日し、大宰府に到着(753年=天平勝宝5)>

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今日という日はどんな日でしょうか?

日本史の中の出来事を覗いてみましょう。

 

753年(天平勝宝5)の今日、唐僧の鑑真が大宰府に入り、大歓迎を受けました。

 

6世紀に伝来し、蘇我氏や厩戸皇子(うまやどのおうじ:聖徳太子のこと)の時代に盛んになった仏教は、7世紀後半になると国家的な支援をうけて発展し、中央のみではなく地方でも地方豪族の信仰を得て多くの寺院が出来ていきました。奈良時代には、仏教は国家の保護を受けてさらに大きく発展しました。

 

奈良時代には鎮護国家(ちんごこっか)の思想というものがありました。鎮護国家とは仏教の教義に基づいて国家を護ることが、すなわち国家安寧に資するとする考え方で、具体的には五穀豊穣、疫病終息、敵国調伏といった国土の擁護であり、また天皇の身体護持も期待されていました。こうした鎮護国家の思想が、仏教が国家と結びついて、その支配を支えるという関係になる背景となっていました。

 

奈良時代になった頃の日本では、戒律が備わっておらず、また正式な授戒が出来る僧も居ませんでした。戒律の「戒」は悪を防ぐための規範のことで、「律」は教団維持のための禁制事項のことです。

 

朝廷は、僧尼授戒の制を整えるために、二人の僧を唐に送り、高僧の師の来日を乞いました。その二人の僧は栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)でした。

 

742年(天平14)、二人は鑑真に伝戒師として来日するよう懇願し、鑑真もまたそれを受諾しましたが、難破などで5度も渡航に失敗し、苦難のなかで失明し、そして753年(天平勝宝5)に帰国の遣唐使船に乗り6度目にしてようやく来日の志を果たしたのです。

 

鑑真は、その翌754年(天平勝宝6)には平城京に入り、わが国の仏教の発展に非常に大きな足跡を残します。その話はまた別項で…という事に致します。

 

今日はここまでです。

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