12月27日 <所得倍増計画を閣議決定(1960年=昭和35)>

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57年前のこの日、池田勇人内閣は、前年から経済審議会で検討を進めさせていた所得倍増計画を閣議決定しました。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

1960年(昭和35)7月、岸信介から内閣を引き継いだ池田勇人は、革新勢力との対立姿勢を鮮明にしていた前内閣とは異なり、

 

「寛容と忍耐」

 

をスローガンに、政治を前面に打ち出さず経済政策を前面に重きを置いた政権運営を行いました。

池田内閣は、前年の1959年(昭和34)から経済審議会で検討を進めさせていた所得倍増計画を、審議会の答申前から安保後の争点として1960年(昭和35)11月の衆院選でとりあげました。

この所得を2倍にするという非常に分かり易いスローガンは、明日はもっと良い暮らしを!と願う国民の気持ちをわしづかみにして、衆院選では296議席を獲得し自民党は勝利しました。そして、この日、第2次池田内閣は、この「国民所得倍増計画」を閣議決定しました。

 

この所得倍増計画は、10年間で実質国民所得をほぼ2倍にすることを目指した経済計画で、その当時の経済成長の速度を考えれば、全くの絵空事ではないものでした。実際の成長も、この計画を上回ったのですよ。ちょうどこの頃は高度経済成長の時期で、日本は年平均10%という驚異的な経済成長を遂げていた、そんな時期だったのです。

 

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

今日はここまでです。

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