12月28日 <大日本相撲協会設立(1925年=大正14)>

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今日という日はどんな日でしょうか?

日本史の中の出来事を覗いてみましょう。

 

1925年(大正14)年の今日、財団法人大日本相撲協会の設立が許可されました。

 

相撲は、日本の国技と称される格闘競技です。その語源は、争う・あらがうという意味の動詞「すまふ」の連用形「すまひ」が名詞化したもので、本来は格闘・力くらべそのものを意味しましたが、のちに特定の様式の格闘競技をさして用いる様になりました。古くから、各地で行われていた様々な格闘が、平安時代に全国各地から相撲人(すまいびと)を徴発して行われた相撲節(すまいのせち)を通じ、同一性をもつ格闘競技として形成され、相撲節に付随した儀式的な要素とともに地方に普及したと考えられます。

 

相撲節がすたれた後も、各地の寺社を中心に。祭礼時の奉納や勧進(かんじん)などの目的で、相撲が芸能の一種として行われ、遅くとも中世後期には各地に職業的な相撲人集団も発生していました。これらの相撲興行は江戸中期頃までに、江戸・大坂・京都を中心に組織化されて幕府の公認を得て、各地の相撲組織を傘下に収めていきました。

 

明治時代に入ると、東京相撲協会と大阪相撲協会ができ、組織としての形態が確立しました。

 

1925年(大正14)、当時、摂政皇太子であられた裕仁親王(ひろひとしんのう:後の昭和天皇)が相撲を台覧(たいらん:皇族などの高貴な方がご覧になられること)されたおりに下賜された奨励金から「摂政宮賜杯(現在の天皇賜杯)」が作られましたが、興行主に過ぎない団体である東京相撲協会が菊花紋章の入った優勝杯を使用するわけにはいかず、財団法人設立の許可を受けたのが、財団法人大日本相撲協会が設立された背景です。

 

この財団法人大日本相撲協会の設立に関してWikipediaに面白い裏話がありましたので、以下に引用します。

この許可も、そもそも団体の存在に公益性がないことからどうやら難しそうだと見て、あえて年末に申請して強引に許可を受けたという裏話が残っている。

(Wikipedia「日本相撲協会」から引用)

 

この財団法人大日本相撲協会が出来た翌々年の1927年(昭和2)1月には大阪相撲協会が解散し、東西の相撲協会が合流し、現在の大相撲の組織の系譜に連なっています。この財団法人大日本相撲協会は、

  • 1966年(昭和41):財団法人日本相撲協会
  • 2014年(平成26):公益財団法人日本相撲協会

へと改称され現在に至っています。

 

今日はここまでです。

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