2月 出来事

2月11日 <大人気の李香蘭公演、観覧希望者が日劇ぐるりと七周半(1941年=昭和16)>

2018/02/11

1941年(昭和16)のこの日、東宝映画「支那の夜」で人気絶頂となっていた李香蘭(りこうらん)の公演を見ようと詰めかけた観衆が、東京の日劇前に詰めかけ周囲は人並みで大混乱でした。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

李香蘭、大変な美人であります。

まず、この若かりし頃(1940年代なので20歳代)の写真を御覧ください。もうため息しか出ませんねぇ。写真は例によってWikipediaから無断借用してきたもので、写真やその下の青文字をクリックすると、Wikipediaの大きな画像が確認出来ます。

<李香蘭>

 

李香蘭は、本名を山口淑子(やまぐちとしこ)といい、佐賀県出身の父・山口文雄と福岡県出身の母・アイ(旧姓石橋)の間に、1920年(大正9年)2月12日に生まれました。明日が誕生日なんですね。生まれた場所は、中華民国奉天省(現・中華人民共和国遼寧省)の炭坑の町、奉天北煙台でした。

 

では、どこから李香蘭という名前が付いたか、についてはWikipediaに書かれて居ますので以下に引用します。

 

親中国的であった父親の方針で、幼い頃から中国語に親しんだ。小学生の頃に家族で奉天へ移住し、その頃に父親の友人であり家族ぐるみで交流のあった瀋陽銀行の頭取・李際春将軍(後に漢奸罪で処刑される)の、義理の娘分(乾女児)となり、「李香蘭(リー・シャンラン)」という中国名を得た。

中国の旧習では、元来縁を深めるために互いの子供を義子とする習慣があった。これは実際に戸籍を移す法的な養子という関係ではなく、それぞれの姓で互いの子女に名前を付けあうなどのものである。

(Wikipedia「山口淑子」から引用)

その後、奉天に住むイタリア人オペラ歌手のマダム・ポドレソフに師事し、声楽を学びました。

1938年(昭和13)には満州国の国策映画会社・満洲映画協会(満映)から中国人の専属映画女優「李香蘭」(リー・シャンラン)としてデビューし、その美貌と妙なる歌唱とで、女優として歌手として、日本や満洲国で大人気となったのでした。

その頃、李香蘭の人気を絶頂に押し上げたのが、1940年(昭和15)、人気俳優の長谷川一夫と共演した日満合作の東宝映画「支那之夜」でした。

そして1941年(昭和16)のこの日、東京の日本劇場(日劇)での「歌ふ李香蘭」に出演し、大盛況となったのでした。

早朝から何千人というファンが大挙して押し寄せ、切符売場は収集の付かぬ状態になり、日劇の周囲を何と7周半もの観客が取り巻いたため、消防車が出動・散水し、群衆を移動させ、整理につとめるほどでした。この騒動は一日中混乱状態を続けたそうで、「日劇七周り半事件」と呼ばれています。

以下の写真は、その当時の報道写真で、ものすごい群衆が日劇前に押し寄せているのが分かります。

 

この李香蘭は、1969年(昭和44)〜1974年(昭和49)3月の間、フジテレビのワイドショー「3時のあなた」で司会者を務めたり、1974年(昭和49)〜1992年(平成4)の18年間は、参議院議員を務めたことで知られています。

下の写真は、2005年(平成17)8月、85歳のものですが、矍鑠をされた姿を見せていますね。

 

最後に、映画「支那の夜」から、李香蘭の演技と歌とが見られるYouTubeの動画へのリンクを貼り付けておきますね。

<支那の夜・李香蘭>

 

2.他の年、この日の記事

他の年のこの日には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

  • 2017年記事:<大日本帝国憲法が公布され、「万歳」が初めて唱和(1889年=明治22)>

 

今日はここまでです。

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