2月16日 <ロッキード事件の証人喚問「記憶にございません」(1976年=昭和51)>

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1976年(昭和51)のこの日、衆議院予算委員会にて、ロッキード事件の証人喚問が始まりました。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

1976年(昭和51)2月、アメリカ議会上院で行われた外交委員会多国籍企業小委員会公聴会で、ロッキード社の会計監査の結果が報告され、日本への航空機(トライスター)売り込みの為に、30億円以上の金が日本側に支払われて居たことが明らかになりました。

 

さらにその後公聴会において、ロッキード副会長アーチボルド・コーチャンと元東京駐在事務所代表ジョン・ウイリアム・クラッターとが、日本においてロッキード社の裏の代理人的役割をしていた、右翼の児玉誉士夫に対し1972年(昭和47)10月に「コンサルタント料」として21億円(700万ドル)を渡したこと、次いで児玉から、国際興業の小佐野賢治やロッキード社の日本における販売代理店の丸紅などを通じ、当時の首相である田中角栄に対して5億円が渡されたことも判明しました。

 

 

米国での多国籍企業小委員会での証言内容を受け、当時の首相三木武夫は、真相の徹底究明を約束し、1976年(昭和51)のこの日、検察などの本格的捜査の開始に先立って、衆議院予算委員会に於いて証人喚問が行われました。

証人喚問では、事件関係者として小佐野賢治、全日空からは若狭得治社長や渡辺副社長、大庭哲夫前社長、丸紅からは檜山廣会長や大久保利春専務、伊藤宏専務、ロッキード日本支社支配人の鬼俊良などが証人喚問され、この模様は全国にテレビ中継されたのです。

 

「記憶にございません」

 

を連発する証人たちの姿が中継で流れ、またニュースなどで繰り返し画面に映されて、国民の憤激が大いに盛り上がりました。

以下にYouTubeにUpされている当時のニュース映像へのリンクを貼り付けておきますね。

<ロッキード事件証人喚問>

 

2.他の年、この日の記事

他の年のこの日には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

 

今日はここまでです。

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