2月24日 <昭和天皇の大喪の礼(1989年=平成元)>

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1989年(平成元)のこの日、同年1月7日に崩御された昭和天皇の大喪の礼が行われました。

これは平成時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

この昭和天皇の大喪の礼は国事行為として、すなわち国の儀式として行われ、主催は内閣で、当時の当時の総理大臣は竹下登で、竹下総理大臣は、大喪の礼委員会委員長でもありました。

 

大喪の礼の当日は、公休日となり、多くの公共施設、デパート、映画館などが休館・休業でした。 陛下の柩は皇居を出て、沿道に集まった20万人の人々に見送られ、葬場となった新宿御苑に向かいます。そこでの儀式のあと、東京都八王子市にある武蔵野御陵に収められたのです。

 

Wikipediaの「大喪の礼」の項を読んでいて、おや?と思うところがあったので以下に引用します。新宿御苑で行われた儀式に関する記述です。

 

ここで、幔門(門に見立てられた黒一色の幔幕)が閉じられて鳥居などが設置され、国の儀式である「大喪の礼」から皇室の儀式である「大喪儀」が執り行われ、「斂葬の儀」(埋葬当日の儀式)のうち「葬場殿の儀」が執り行われることとなった。「葬場殿の儀」では、奠饌幣(幣帛を奉じる神道儀礼)や天皇の拝礼、天皇による「御誄」(おんるい、弔辞)の奏上、皇后を始めとする皇族や親族の拝礼が厳やかに営まれた。

(中略)

「葬場殿の儀」が営まれた後、再び幔門が閉じられ鳥居等が外され、内閣官房長官・小渕恵三が「大喪の礼御式を挙行いたします。」と開式を告げることで国の儀式である「大喪の礼」は始められた。

(Wikipedia「大喪の礼」から引用。太字処理は小生が行いました。)

 

この「鳥居などを設置され」「鳥居等が外され」という部分にはとても違和感を覚えます。宗教色を排除しようとしたことに伴う対応だったんでしょうね。

 

なお、当日の天気は冷たい雨でした。大喪の礼には、世界164ヶ国からの賓客含め9,800人もの参列者がありました。外国からの賓客も多く、昭和天皇のお人柄が偲ばれました。テレビに映る賓客の皆様は、非常に寒い雰囲気でありながら立派な態度で式に臨まれましたが、わが国の来賓のなかには残念なことに、寒そうにして無様な姿を晒す方(国会議員のセンセイでしたが)も居られました。

 

 

2.他の年、この日の記事

他の年のこの日には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

 

今日はここまでです。

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