2月6日 <森有礼が契約結婚(1875年=明治8)>

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1875年(明治8)のこの日、明六社社長の森有礼が、福沢諭吉を承認として広瀬常と契約書をかわして結婚しました。

これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

結婚式は、当日の午前11時に始まり、礼服着用の森有礼とウェディングドレスの広瀬常が登場し、有礼の郷里である鹿児島県出身の肥後さんという人が東京府知事の前で婚姻契約書を新郎新婦のために読み上げ、証人福沢諭吉と当人同士の署名を経て婚儀が拍手のうちに終了しました。この結婚式のあとには、立ち食い&立ち飲みの立食パーティーという、大変賑やかでハイカラな披露宴が開かれたそうです。

 

東京日日新聞の記事によると、この日、招待を受けた政財官界の来賓は、築地の采女町(うねめちょう)に在った精養軒の裏手にあった森邸に百人以上集まったそうです。会場となった森邸には飾り付けが施され、軒先には夜のイルミネーション用にほおずき提灯が付けられ、また玄関には日の丸の旗が交差させる形で置かれた、と報じられています。。

 

その結婚契約の内容は以下の通りです。

  • 第一条 「今後森有礼は広瀬常を妻とし、常は森を夫とすること」
  • 第二条 「二人とも約条を廃棄しないかぎり、尊敬し合い、愛しあうこと」
  • 第三条 「双方の同意なくして夫婦共有財産を、他人に賃借・売買しないこと」

 

東京日日新聞は、翌日付の紙面で「ああ盛(さかん)なり男女同権の論かな、美なり開化の御婚礼かな」とヨイショしています。

 

後年、評論家の山本七平が次の様に評しているそうです。

「欧米で結婚が契約だというのは二人がそれぞれ神と契約するのであって二人が相互に契約するのではない。欧米人が森の『契約結婚』を聞いたらひっくりかえっただろう」

(Wikipedia「森有礼」から引用)

この意見は極めて正論だワナ、と言わざるを得ませんねぇ。

 

ところで、さだまさしの「関白宣言」なる歌があるのをご存知でしょうか。あれは、結婚する前に、相手に切々と語っている様子を描いていますが、あれは口頭での契約に当たるんでしょうかねぇ。

 

最近は、男女絡みの契約といえば、やはり「愛人契約」でしょうなぁ。

 

この森有礼、1885年(明治18)には、第1次伊藤博文内閣では文部大臣として入閣しています。文部大臣として、一連の学校令の制定を進め、近代的な学校制度の確立に大きな貢献をしました。

 

2.他の年、この日の記事

他の年のこの日には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

今日はここまでです。
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