3月18日 <足利義持、子の義量に将軍職を譲る(1423年=応永30)>

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1423年(応永30)のこの日、室町幕府第4代将軍足利義持(あしかがよしもち)は、子の足利義量(あしかがよしかず)に将軍職を譲りました。

これは室町時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

室町幕府第3代将軍足利義満のあとを継いだ将軍足利義持時代の幕府政治は、1416年(応永23)には、鎌倉公方足利持氏(あしかがもちうじ)に不満を抱いていた前関東管領上杉氏憲(うえすぎうじのり)が反乱を起こし、幕府に鎮圧される事件もありましたが、将軍と有力守護との勢力均衡が保たれ、比較的安定していました。

そののち、富樫満成や赤松持貞といった近習が、将軍専制を目指して守護大名勢力と対立しますが、大名側の反撃にあって失脚し、1423年(応永30)のこの日、嫡子義量に将軍職を譲り、義持は出家してしまいます。

 

このころ、義量は父母とともに朝廷や有力守護邸に参詣出遊して、将軍交代の挨拶をしたようです。弱冠17歳のこの義量、実は結構大酒飲みだったらしく、義持から大酒を戒められたり、その近臣らに命じて酒を制せしめた、という記録が残っています。

また、義量は生来病弱で、1424年(応永31)正月には疱瘡を患っています。そして、その翌1425年(応永32)2月7日に病気になり、同月27日に他界してしまいました。その時、19歳でした。

 

将軍職に就いた、といっても大御所として父の義持(出家して道詮となっていました)が、そして有力守護が居た事もあり実権はありませんでした。そうした事情、そして早世したため、義量自身の事蹟には見るべきものはありません。

 

まぁ、「親父が居るから、政治を行えるワケでもなし…酒でもかっ食らうか…」みたいな感じで酒に溺れたのでしょうかねぇ。

 

2.他の年、この日の記事

他の年のこの日には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

 

今日はここまでです。

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