3月 出来事

3月24日 <壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡(1185年=文治元)>

2018/03/24

1185年(文治元)のこの日、源義経を総大将とする源氏軍と、平宗盛・清宗父子 を主将とする平家軍とが、長門国沖合いの壇ノ浦で源平最後の決戦をくりひろげました。

これは平安時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

壇ノ浦の戦いの話の前に、平氏がここに追い詰められるまでを急ぎ足で見てみましょう。

 

1181年(治承5)閏2月4日、平清盛が亡くなり、また同年の畿内・西国の大飢饉(養和の飢饉)が起こったことで、反平氏の気運は高まりを見せていました。

 

北陸道諸国に大きな勢力を持っていた源義仲を討つ為に、1183年(寿永2)、平氏は維盛(これもり)を大将として軍勢を北陸に派遣しましたが、越中にいた義仲は加賀と越中の国境にある礪波山(となみやま)の倶利伽羅峠(くりからとうげ)で平氏を迎え討ち、これを撃破しました。牛の角に松明を結んで夜襲をかけたといわれる伝説の一戦です。義仲は敗走する平氏軍を追って加賀国篠原でも勝利を収め、そのまま京都に攻め上りました。畿内の武士や寺社勢力も一斉に平氏に反旗を翻し、同年7月、平氏一門はついに京都から追い落とされてしまいました。

 

ところが、義仲は政治的配慮に乏しかったこともあり、京都で後白河法皇の反感をかい、反平氏勢力の掌握に失敗してしまいました。後白河法皇は、義仲に対して平氏を討つべく西下せよと院宣を下す一方、義仲が中国地方に滞在する間に、頼朝の上京を促しました。頼朝は弟の源範頼と源義経とを大将として東国の軍勢を派遣しました。義仲は、急ぎ防戦しましたが、味方となる武士は少なく、1184年(寿永3)1月、近江国栗津で戦死してしまいました。

 

源氏が相争っているうちに、平氏は勢力を回復して福原にもどり、京都帰還の機会を伺っていました。後白河法皇は平氏追討の院宣を頼朝に与え、源氏軍はただちに平氏の拠点であるーの谷を攻撃しました。1184年(寿永3)2月の源平両者の命運をかけた戦いは、義経の活躍によって源氏側が勝利しました。頼朝はこののち各地に有力な武士を派遣し、平氏や義仲の勢力を掃討させました。

 

平氏の基盤である四国、九州の武士も頼朝に臣従するようになった情勢をみて、1185年(文治元)2月、義経は讃岐国屋島に平氏を急襲し、さらに長門国へと平氏を追い詰めました。

 

1185年(文治元)3月24日、源義経を総大将とする源氏軍と、平宗盛・清宗父子 を主将とする平家軍とが、長門国沖合いの壇ノ浦で源平最後の決戦を行い、敗れた平氏一門は、安徳天皇とともに海中に没しました。

 

さて、ここからが当日繰り広げられた壇ノ浦の戦いの話です。

午後1時ごろ、平家軍は500余艘の軍勢を3隊に分け、東向きの潮流にのり、840余艘を擁する源氏の船団に激突しました。平家軍は、関門海峡の潮流をよく知っている九州の水軍に先導させて、戦いを優位に進めました。

 

源氏軍は防戦一方でしたが、義経は敵の将兵より先に、船頭たちを弓でねらい射ちにし、相手の船の自由を奪う作戦に出ました。この作戦が有効だったのに加え、午後3時頃から潮流が西向きに変わりました。船頭や舵取りを失った平家の船団は、海面を漂う木片のように流されてしまいました。そこへ源氏軍が襲いかかり、戦いは源氏の圧勝に終わりました。最大の勝因は、潮流の急転にあったといわれています。

 

午後4時頃には、平家一門は壊滅状態となり、将兵は海の中へ身を投じ、安徳天皇は三種の神器を身につけ、平清盛の妻で天皇には祖母にあたる二位尼(にいのあま)にいだかれて入水なさいました。

 

この時、二位尼は8歳の安徳天皇に、

「この国は、辺鄙で小さな国ですが、 この下には、仏さまが住むめでたい都がありますよ」

こうささやきながら入水したといいます。

 

義経は部下に命じ、幼帝と神器をさがさせましたが、ついに幼帝と宝剣だけは見つけることが出来ませんでした。そうしたなか、安徳天皇の生母の建礼門院徳子をはじめ、宗盛父子、平時忠・時実父子は海面からひきあげられ生け捕りにされました。

 

こうして20余年の平家一門の栄華は、一瞬のうちに終わりを告げたのでした。

 

 

2月4日のblogでは、平清盛が亡くなった時のことが書いてあります。併せてご一読頂ければ幸いです。

2月4日 <平清盛が亡くなりました(1181年=治承5)>

また、2月21日のblogでは、安徳天皇が即位された時のことが書いてあります。こちらも記事へのリンクを貼り付けておきますね。

2月21日 <安徳天皇が即位(1180年=治承4)>

 

2.他の年、この日の記事

他の年のこの日には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

 

今日はここまでです。

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