3月29日 <元参議江藤新平、逮捕される。佐賀の乱(1874年=明治7)>

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1874年(明治7)のこの日、佐賀の乱で政府軍に破れ逃走中であった江藤新平は、徳島と高知との県境辺りで逮捕されました。

これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

征韓論に破れて下野した板垣退助らの旧参議の多くは、1874年(明治7)1月17日に民撰議院設立建白書を提出して、明治新政府の「有司専制」を鋭く攻撃しました。

その建白書に署名したメンバーの中に江藤新平も居ましたが、江藤は同年1月12日に署名したあと13日には東京を去って郷里の佐賀に帰っていました(江藤は民撰議院設立の建白のときには東京には居なかったのです)。

実は、民撰議院設立を建白した前参議4人の中でも、江藤新平は民主的な傾向はありませんでした。江藤はただただ大久保利通が仕切る政権への憎しみにかられていました。それゆえ、反政府運動の一環として建白に参加しただけだったのです。

 

江藤が戻った郷里の佐賀には、元秋田県令島義勇(しまよしたけ)を首領とする攘夷主義を掲げる憂国党と、江藤と交流のあった征韓党とがあり、両党ははげしく対立していました。しかし、征韓論による政府の分裂は、征韓党と憂国党とを近づけることになり、1874年(明治7)2月12日、江藤と島とが協議し、両党の勢力を合わせて挙兵することにしました。

 

こうして起こったのが「佐賀の乱」です。

 

同年2月18日、征韓党と憂国党とは2,500の兵力をもって佐賀城を攻略して県令岩村高俊を敗走させたのでした。

江藤は挙兵の理由を「戦を決するの議」で

政府が一旦閣議で決定した征韓論を覆したことを責め、われわれは先年、長州藩が幕府の追討を受けながらよく勤王の大義をあげたのと同様の立場で討伐軍を迎え撃ち、やがて錦旗を奉じて朝鮮を討つであろう…

と主張しました。さらに、島義勇の趣意書もまた

政府は島津久光・西郷隆盛・板垣退助らの有功の士をしりぞけ無功無頼の奸才をあげ、南蛮の醜風に心酔し…このうえは一日も早く大政うぃ変革し、内には封建・郡県ならび行い、外には不貞無頼の朝鮮を征討するはもとより、支那・ロシアその他の諸外国を日本の臣僕とする大目標をたてねばならない

と訴えました。

 

ところが、彼らが当てにしていた島津久光は、下級の者が政府に敵対するという、秩序を乱すことそれ自体には反対で、鹿児島県士族が佐賀の乱に呼応することが無いよう鎮撫する決心をして、同年2月20日に鹿児島に入りました。久光は早速西郷隆盛を呼び出し

「もし江藤が挙をもって国家に不利をするならば、西郷みずからが兵を率いて江藤を討伐せよ」

と命令口調で言いました。これに対し西郷は冷然と

「いまや我が国には陸海軍の備があり、当然これをもって討伐すべきであり、自分ごときが出る幕ではない」

と答えました。西郷は江藤の挙兵に賛成ではなかったらしいのですが、その心中は大いに同感するところもあったので、こうした返事になったのでしょう。久光の、西郷によって討伐…という目論見は達成出来ませんでしたが、鹿児島の士族を一旦鎮静させた効果はあったのです。

 

さて、江藤らの期待に反して、挙兵に呼応してくれる仲間は居ません。そうこうしているうちに、新鋭装備の政府軍が準備万端ととのえて進撃してくると、旧式装備の反乱軍はひとたまりもありません。

 

はやくも2月23日には、江藤と島とは佐賀を脱出しなければなりませんでした。

江藤は8人の部下をしたがえ、西郷隆盛を頼って鹿児島に行きました。そして、3月1日に鹿児島鰻温泉の福村市左衛門方に湯治中の西郷に会ったものの、保護を断られてしまいます。江藤は日向から伊予に渡り、そこから土佐に入って高知に林有造・片岡健吉を訪ねましたが、ここでもまた断られてしまいます。今度は、高知からさらに海岸沿いの陸路を阿波へ抜けようとして、1874年(明治7)のこの日、土佐の甲の浦(かんのうら。現・高知県安芸郡東洋町甲浦付近)で逮捕されてしまいました。

 

同志と信じた者から次々に見放された江藤の心中たるや…、小生はその絶望の淵の深さ・暗さを思うと心が締め付けられる様です。

 

ともに挙兵した島は、すでに3月7日に鹿児島で捕らえられていました。同年4月9日、大久保利通は佐賀で臨時裁判所を開き、同月13日、江藤と島とを新律綱領の謀叛の罪により極刑、しかも梟首としました。そのほか11人は斬罪に処せられました。

 

2.他の年、この日の記事

他の年のこの日には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

 

今日はここまでです。

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