3月8日 <忠犬ハチ公、亡くなる! 死因は?(1935年=昭和10)>

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1935年(昭和10)のこの日、亡くなった飼い主の帰りを東京渋谷の駅前で約10年ものあいだ待ち続けた秋田犬のハチが病気で死亡しました。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

フランス人でも知っている!(半分ウソ)忠犬ハチ公。

 

渋谷に建っているその銅像は、フランス人と待ち合わせする時は「Chien de Shibuya(シアン ドゥ シブヤ:渋谷の犬の意)」と言えば場所が分かります。ハチ公は偉い!

 

これが「Hibou dans Ikebukuro(イブゥ ダン イケブクロ:池袋のふくろうの意)」なんて言っても通じないんですねぇ。これは「いけふくろう」という池袋駅の北改札のそばにあるふくろうの石像ですが、皆様はご存知でしょうか?

 

亡くなった飼い主を10年間も渋谷の駅頭で待ち続けた秋田犬のハチ公は、1935(昭和10)年の今日、フィラリア症とガンとが原因で衰弱死しました。午前6時過ぎにハチは渋谷川に架かる稲荷橋付近、滝沢酒店北側路地の入口で死んでいるのを発見されました。満11歳でした。

 

ハチは、東京帝国大学農学部上野英三郎教授の愛犬で、毎朝夕主人の送り迎えが日課になっていました。ところが、上野教授はハチを飼い始めた翌年の1925年(大正14)に亡くなってしまいます。上野教授の死後も渋谷駅前で、その帰りを毎日待ち続けたハチの姿は、新聞記事に掲載され、人々に「忠犬ハチ公」と呼ばれるようになり、美談として教科書に掲載されました。

 

ハチの為に盛大な告別式が行われ、その墓は、亡くなった主人である上野英三郎の墓の隣に作られました。 死亡解剖で分かったことなのですが、ハチ公のお腹の中に、焼き鳥の串が3~4本あったそうです。

 

あの世で、上野教授に寄り添って散歩しているかもしれませんねぇ。

 

2.他の年、この日の記事

他の年のこの日には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

 

今日はここまでです。

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