1980年(昭和55)のこの日、自民党代議士浜田幸一が、その前月に発覚した1973年(昭和48)にラスベガスで一晩に4億6,000万円をスッた、いわゆるラスベガス事件がもとで議員辞職しました
これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
ハマコーの愛称で親しまれた元自民党代議士の浜田幸一は、「政界の暴れん坊」とも呼ばれ数々の逸話が残されていますが、本日ご紹介するのは、1980年(昭和55)のこの日、議員辞職に追い込まれる原因となった「ラスベガス事件」のことです。
そのラスベガス事件は、1980年(昭和55)3月6日に露顕した1973年(昭和48)11月に
「ラスベガスのカジノで、一晩で4億6000万円(当時の為替レート換算)をスッてしまった」
という出来事です。「一度失敗すると500万なくす」といわれたバカラ賭博で負けが混んだ結果の大損失だったそうです。
そのスッた大金はハマコーが用意してカジノに行ったワケではなく、カネの出処があったのです。それは、なんと、当時(1980年頃)ロッキード事件で起訴されていた小佐野賢治が用立てたのでした。
疑獄事件渦中の小佐野から用立てられたカネで豪遊したこと、しかも届け出無しで日本円を外国に持ち出して米ドルに両替したという外国為替法違反行為をしたことや、刑法で禁じられている賭博を脱法的に海外で行ったこと、しかもハマコー自身が国会の与党議員であったことなどから道義的に非難の対象となってしまったのです。
野党も、ここぞとばかりこの「ラスベガス事件問題」をネタに与党に対する攻勢の柱に掲げたため、ハマコーは党の国民運動本部長を辞任させられ、ついで1980年のこの日、議員辞職に追い込まれてしまいました。
この1980年には、総選挙が行われたのですが、ハマコーは自民党の公認が得られず、浪人生活を余儀なくされたそうです。
1993年(平成5〉に政界を引退したハマコーは、そののちタレント活動でテレビで人気者になりますが、2012年(平成24)8月5日、急性心不全によりこの世を去っています。享年83歳でした。
その他界を悼み、同月7日の読売新聞朝刊に次のような一文が掲載されました。
「独自の愛嬌と浪花節の男っぽさが親しまれもした。2人いれば迷惑だし、5人いたら組織がもたないが、1人もいないとそれでさびしい。そういうタイプの人」
(Wikipedia「浜田幸一)から引用)
こうしたセンセイ、最近は余り見かけなくなり、本当に寂しいですねぇ。
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
- 2017年記事:<鴨川で僧が入水往生する(1152年=仁平2)>
今日はここまでです。
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