4月13日 <江戸幕府の講武所が開校(1856年=安政6)>

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1856年(安政3)のこの日、江戸幕府が建設した講武所の開校式が、第13代将軍徳川家定を迎えて行われました。

これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

ペリー来航後、列強諸国の近代的軍装に刺激された江戸幕府は旗本・御家人に武術を訓練する必要性を痛感し、1854年(安政元)に老中阿部正弘の命で講武所(こうぶしょ)設置を決めました。講武所とは、江戸幕府が設置した武芸訓練機関なのです。

 

そして1856年(安政3)4月13日、築地に建設された講武所は、将軍徳川家定を迎えて開校式を行いました。

 

そののち、築地は軍艦操練所となったので、1859年(安政6)に神田小川町(現在日本大学法学部図書館のある水道橋内三崎町2丁目)へ移転します。

 

諸役人、旗本・御家人などの幕臣及びその子弟、生徒数数百人が弓術・砲術・槍術・剣術・柔術部門(弓術・柔術部門は後年廃止)に分かれて訓練を行いました。特に砲術方は西洋砲術(銃隊調練)を採用し、その後の洋式軍制化の中核機関となりました。

 

講武所の組織は以下の構成でした。

  • 総裁2名
  • 各部門に師範役が各1名
  • 師範役の下に教授方

総裁には、旗本の跡部良弼(あとべよしすけ)と土岐頼旨(ときよりむね)、教授には、幕臣の高島秋帆(たかしま しゅうはん。砲術師範)・下曽根信敦(しもそね のぶあつ。砲術師範)・男谷信友(おたに のぶとも。剣術師範)・勝海舟(かつかいしゅう。砲術師範)・榊原鍵吉(さかきばら けんきち。剣術教授方、のち師範)・窪田清音(くぼた すがね。兵学師範)・伊庭秀業(いば ひでなり。剣術師範)・大村益次郎(おおむらますじろう。村田蔵六とも。多分兵学だと…)らが就きました。

 

1864年(元治元)の長州戦争時には大坂に玉造講武所が設置され、旗本や大名軍の実地訓練が行われました。

 

1866年(慶応2)11月、幕府の軍制改革により陸軍所と改称し、講武所は廃止されました。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

 

今日はここまでです。

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