4月4日 <明治天皇、花見で行幸の際、木村屋のあんぱんを食す(1875年=明治8)>

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1875年(明治8)のこの日、明治天皇が花見のために向島の水戸藩下屋敷に行幸された際、木村屋のあんぱんを食され大層お喜びになられました。それ故、4月4日、今日は「あんぱんの日」なのです。

これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

天皇家では、平安時代から宮中で花見の宴を代々催しておられましたが、江戸時代が終わり明治時代になって、東京に皇居をお遷しになられてからは、その花見は中断なさっておられました。

 

そして1875年(明治8)に宮中花見を再開することになりました。明治天皇は、東京で行う初めての宮中花見の宴の会場として、小石川にあった水戸藩下屋敷(現在は隅田公園の一部で吾妻橋と言問橋辺り)でした。

 

そして、花見が行われたのが1875年(明治8)4月4日でした。その際、侍従として随行したのが木村屋の主人木村安兵衛と昵懇の間柄であった山岡鉄舟でした。そして、鉄舟は、陛下に木村安兵衛が作る酒種あんぱんを献上したのです。

 

御菓子として出されたあんぱんを明治天皇、そして皇后陛下は大層お気に召し、「引き続き納めるように」とお命じになられたそうです。木村屋のあんぱんが宮内省御用達となった瞬間でした。

 

この花見の宴で昭和天皇は歌を詠まれています。

花くはし 櫻もあれと 此やと(宿)の 世々のこゝろを 我はと(問)ひけり

(明治天皇御製)

 

この行幸の際に献上されたあんぱんは、その前年の1874年(明治7)に新開発された商品でしたが、木村安兵衛はもうひと工夫をと思案し、花見の宴にふさわしい様に、と桜の花びらの塩漬けをあんぱんのへそに埋め込んだ、とのことです。

 

 

 

この時、宴の会場として使われた水戸藩下屋敷は、1923年(大正12)の関東大震災の時に火災で焼失してしまいました。また1931年(昭和6)に隅田公園が作られる際に、その下屋敷の旧跡は同園に取り入れられ現在に至っています。残念ながら第2次世界大戦の戦火でその面影は残っていません。

 

余談ですが、桜つながりで…

今年は桜餅が出来て300周年なんですよ。

1717年(亨保2)に、江戸向島の長命寺の門番であった山本新六が、江戸幕府第8代将軍徳川吉宗が整備した桜名所の隅田川土手の桜の葉を樽の中に塩漬けにし、その桜の葉で包んだ桜餅を考案し、門前で売り始めめたのが起源だそうです。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

 

今日はここまでです。

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