1946年(昭和21)のこの日、皇居前広場で飯米獲得人民大会(通称:食糧メーデー)が行われました。また、当日のメーデー会場で、掲げられたプタカードが不敬罪に問われるプラカード事件も起きました。
これは時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
1946年(昭和21)のこの日、皇居前広場では食糧メーデーとも米よこせメーデーとも呼ばれる飯米獲得人民大会が行われました。
参加者は何と25万人!
食糧事情の悪化により各地で食糧獲得闘争が繰り広げられていた…そんな時代です。
大会の参加者は、首相タッk亭と警視庁・検事局に決議文を届けるとともに、昭和天皇陛下宛に食糧の人民管理と民主人民政府樹立の要求書を提出しました。と書くと、平和的な要求書提出に思われますが、実際には聴濤克巳が率いるデモ隊は、恐れ多くも坂下門から宮城内に突入し、天皇陛下への面会を要求し、それが叶わなかったため、犬山宮内省総務課長に要求書を渡して撤収した、というのですから緊迫感のある状況だったみたいです。
翌20日には、GHQのマッカーサー最高司令官は
「秩序なき暴力行為は今後絶対に許容されない」
「組織的な指導の下に行われつつある大衆的暴力と物理的な脅迫手段を認めない」
との声明を発する事態に到りました。
さて、このメーデーではもう一つ大きな事件が発生しています。
それは、る日本共産党員で田中精機工業社員の松島松太郎が掲げた
「 詔書
國体はゴジされたぞ
朕はタラフク食ってるぞ
ナンジ人民 飢えて死ね
ギョメイギョジ」
と書かれたプラカードが不敬罪に問われた、いわゆる「プラカード事件」です。
下に貼り付けた写真にある様に、実に怪しからん文面が書かれたプラカードです。最高裁まで争われた事件なので、また後日の話題にしましょうね。
こうした動きに対して、昭和天皇陛下は、5月24日にお言葉を述べられています。
「祖国再建の第一歩は、国民生活とりわけ食生活の安定にある。全国民においても、乏しきをわかち苦しみを共にするの覚悟をあらたにし、同胞たがいに助け合って、この窮状をきりぬけねばならない」
こうした時代を経て、今の日本があるのですねぇ。
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
今日はここまでです。
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