5月21日 <日本最初の小学校が開校!(1869年=明治2)>

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1869年(明治2)のこの日、京都に日本最初の小学校「柳池小学校」が開校しました。学制が公布される3年前のことでした。

これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

今日の話題は、日本の教育制度の近代化についての、もっとも初期の頃の話です。その、教育制度の初期のことをチラリと書いておきましょう。

 

近代化を有効に進めるためには、国民の知識の水準を高めることが必要でした。そこで、政府は国民の啓蒙・開明化に力を注ぎました。

 

その手初めとして、欧米の近代的な学校教育制度の採用をはかり、1871年(明治4)には教育行政を担当する文部省を設置し、ついで翌1872年(明治5)に、学制を公布して、男女を問わず国民各自が身を立て、智を開き、産を治めるために学問が必要であるとする、一種の功利主義的教育観に立脚する国民教育の建設につとめました。

 

その学制における初等教育は当初、小学校尋常科と呼ばれた学校で行われ、1873年(明治6)1月15日に設置された官立の東京師範学校附属小学校が第1校でした。ちなみにこの小学校は、現在の筑波大学附属小学校という校名です。そして1875年(明治8)には、全国に2万校以上の小学校が設立され、学校教育は急速に広まりました。

 

学校教育の急速な普及は、江戸時代の寺子屋における庶民教育の伝統があったからであろう、と考えられています。

 

広まった学校教育のおかげで、1875年(明治8)には、男子の小学校就学率は50%を超えました。しかし、女子は18.7%にすぎず、初等教育の男女間格差は小さくありませんでした。

 

また、農村では貴重な労働力であった児童の通学に反対する声もあり、授業料や学校設立費の負担も軽くはなかったので、小学校の廃止を求める農民一揆がおこった地域もありました。

 

とまぁ、こんな感じで説明される初等教育の黎明期ですが、今日ご紹介する出来事は、この学制公布のさらに4年も前のことなのです。

 

1868年(明治元)12月6日に、京都府は学校設計方法を布告し、小学校作りを計画しましたが、上大組(上京区)の鳩居堂7代目熊谷久右衛門(熊谷直孝のこと)は、東洞院通姉小路上ルの有信堂を富小路通御池角の守山町に移し、小学校として寄付したのです。

 

そして1869年(明治2)5月21日に、日本最初の小学校となる柳池小学校の開校式が挙行されました。(この小学校は、1947年の新学制により柳池中学校となり、現在は城巽中学校と併合され御池中学校という名前に変わっています。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

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