5月29日 <国際通貨基金(IMF)・国際復興開発銀行(IBRD)加入決定(1952年=昭和27)>

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1952年(昭和27)のこの日、国際通貨基金(IMF)・国際復興開発銀行(IBRD。世界銀行)書記局は、日本に対する両機構への加盟を承認し、正式に招請状を発しました。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

国際通貨基金はIMFとも呼ばれます。IMFはInternational Monetary Foundの頭文字を取った略称ですね。

この国際通貨基金は、1944年(昭和19)のブレトン・ウッズ協定に基づき国際復興開発銀行とともに1945年(昭和20)に設立された国際連合の専門機関です。

これは第2次世界大戦前の自国本位の為替操作の弊害を反省し、

  • 固定為替レートの維持
  • 国際収支均衡にむけた短期融資

を目的として、1947年(昭和22)に約77億ドルの資金で業務を開始しました。加盟国は一定の拠出金を払い、外貨を借り入れることができます。さらに金1オンス=35ドルの米通貨を基準に自国通貨の為替レートを決定・維持する義務を負います。その自国平価の変更にはIMFの承認が必要です。

 

 

国際復興開発銀行は世界銀行とも呼ばれ、略称はIBRDだそうです(このIBRDという表現はあまり使われたのを見たことがないので、だそうです…という物言いです)。略称の由来はInternational Bank for Reconstruction and Developmentの頭文字にあります。

こちらも上記のブレトン・ウッズ協定にもとづいて1945年(昭和20)に設立された国際機構で、1946年(昭和21)に業務開始し、1947年(昭和22)に国際連合の専門機関となっています。。

開発途上国・低開発国に対する開発援助を目的とし、加盟国の政府・企業に対する資金貸付、そのための調査と技術援助を業務としています。

 

 

この国際通貨基金と国際復興開発銀行の書記局は、1952年(昭和27)のこの日、日本に対する両機構への加盟を承認し、正式に招請状を発しました。

日本への加盟に対する割当額はそれぞれ2億5,000万ドルで、日本は同年8月13日に、両機構の本部があるワシントンで加盟調印しました。

 

こうして、日本は第2次世界大戦の敗戦から立ち上がり、経済的にも国際社会への復帰を果たしたのでした。

 

ちなみに、日本も国際復興開発銀行から借款を受け、その額は1966年までに86億ドルでした。その資金の援助によって日本各地の大型ダムや首都高速道路が整備されたのです。そして、この借款は1990年(平成2)までに完済しています。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

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