1498年(明応7)のこの日、紀伊半島から房総までと山梨県を襲った明応地震とその地震に拠る津波とによって、浜名湖南部と遠州灘とを隔てていた砂州が決壊消失し、浜名湖は外海に通じた汽水湖となりました。
これは室町時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
この出来事を引き起こした1498年(明応7)のこの日に起こった明応地震は、2018年現在、あと30年以内に発生する可能性が極めて高いとされている南海トラフ巨大地震であったと推定されています。
この地震は紀伊半島から房総まで、内陸の甲斐国でも被害が観測され、その規模はM8.3〜8.6程度であったと考えられています。
その被害は地震そのものによる被害よりも、津波での被害が大きく、伊勢大湊で家屋流失1千棟、溺死5千人、伊勢志摩で溺死1万人、駿河湾岸の志太郡付近で水死2万6千人という記録が残っています。
「東栄鑑」には
諸国大地震、遠州前坂ト坂本ノ間ノ川ニ津波入リ、一里余ノ波シトナル、是ヲ今切ト号ス
「遠江国風土記伝」には
湖水変為潮海矣
とあります。
それまでは浜名湖南部と遠州灘とは砂州で隔てられ、東海道が通っていました。その淡水湖であった浜名湖が、地震と津波とに砂州が決壊消失して今切と呼ばれる湾口を形成し、太平洋と通じて汽水湖となったことが、上の史料からわかります。
Wikipediaに「明応地震により消滅した浜名湖の陸」という図があります。下に無断借用してきました。画像またはその下の青文字をクリックして頂きますと、Wikipediaの大きな画像が確認できますよ。
<明応地震により消滅した浜名湖の陸>
(Wikipedia「明応地震」から借用)
また、浜名湖の衛星写真でご覧頂きますと、その湖口が切れていることよく判ると思います。この写真もWikipediaからの無断借用です。
<浜名湖(衛星写真)>
(Wikipedia「浜名湖」から借用)
この地震以降、湖口の地形はたびたび変わっていますが、汽水湖であることは現在に至っています。
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
昨年は記事作成をサボっており、この項は無しです。
今日はここまでです。
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