335年前のこの日、先手頭中山勘解由直守(なかやまかげゆなおもり)は火付改役(ひつけあらためやく)という新しい役職を命じられました。
これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
先ず、最初に謝っておきますね。
今回の記事の表題にある「いつの世にも悪は絶えない」というのは、テレビドラマ「鬼平犯科帳」の冒頭のセリフです。下の写真や青文字のリンクから、YouTubeにUPされている懐かしい鬼平犯科帳のオープニング動画が見られます。
このドラマの主人公、あの鬼平こと、長谷川宣以は火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)であって、今回の記事は火付改のことです。少し…違います。
なので、「いつの世にも悪は絶えない」から、
ああ、今日の記事は火盗改メのことね…と早とちりしないでくださいね。
1683年(天和3)のこの日、先手頭中山勘解由直守(なかやまかげゆなおもり)は火付改役(ひつけあらためやく)という新しい役職を命じられました。そのミッションは
「近頃、江戸での放火事件が多いので、風がある日には部下を巡視させ、怪しい者がいたら逮捕せよ」
というものでした。
実は、この火付改役が出来る前、1657年(明暦3)1月に起こった明暦の大火以降、江戸の治安が悪化したので、そうした凶悪犯に対処するために1665年(寛文5)に「盗賊改(とうぞくあらため)」という役職を設置していました。そして、1683年(天和3)に「火付改}という役職が出来たのです。この役職は三奉行制度が出来ると一旦は廃止されますが、また復活し、1718年(亨保3)以降は、盗賊改&博奕改と合体し火附盗賊改と呼ばれるようになるのです。
役職が出来た、といっても先手頭(さきてかしら。先手弓頭・先手鉄砲頭)や持之頭(もちのかしら。持弓頭・持筒頭)の加役で、専任の職ではありませんでした(幕末期には専任となりました)。ちなみに、上記の鬼平は、1787年(天明7)〜1795年(寛政7)まで火附盗賊改の長官を務めたそうです。
2.過去年の記事
過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。
今日はここまでです。
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